玉ノ井塾暫定掲示板



カテゴリ:[ ビジネスと社会/経済 ]


124件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[125] 居酒屋ブルース575 和食処 旬魚 日向雫

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 6月25日(日)16時55分18秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

潮風に当たりながら、露天風呂で疲れた体を癒した。
18:15和食処 旬魚 日向雫(ひむかしずく)へ行く。
再訪のせいか、藤井マネージャーがニコニコの笑顔で愛想良く迎えてくれた。「個室は掘りごたつでなく、テーブル席になります」と済まなそうに言って案内してくれた。確かに、部屋は狭いし、オーシャンビューを眺められなかった。
ツウペアは氷点下のエクストラコールドを頼んだ。マネージャーは隣にあるメインバー「リップル」の責任者を兼務しているので、素早く対応してくれた。そのビールで乾杯した。風呂上がりのビールは最高であった。 やっと抗生薬が効いたせいか、風邪は回復に向かってきた。喉と舌の痛みは軽減してきた。
酒を飲むとCKDのせいで、顔色はどす黒なっていたらしい。それが正常に戻りつつあるとカミさんが元気ズケてくれた。
 村田夫妻は今回の旅は良かったと喜んでくれた。
私は旅情いっぱいの旅ができたのは、村田夫妻のお蔭と感謝を述べた。美枝子さんがレンターを運転してくれたので高千穂峡まで行けたのである。しかも、これもCKDが原因か、鉛が入ったような両足で歩くのは苦しかった。村田の気配りのサポートがあって、頑張れたからだ。
               *
 御品書きは一昨日と同じであった。先付 ヒラマサ、カマス、ニベのカルパッチョ。カマスの味が良かった。カマスは関東では晩春から8月はじめ抱卵して、産卵後はやせる。秋にまた脂がもどるので、旬は秋と言われている。日向灘のカマスは産卵直前で脂がのっているのであろう。
 造里はマグロ、サワラ、ブリ、タイ、赤エビであった。クロマグロの幼魚のメジが上品な脂で美味い。
宮崎県は沿岸まぐろ延縄漁業の漁獲量は全国一である。そのなかで板長が厳選したメジだから美味くて当然である。
 かつて「マグロ漁」が盛んで知られた日南市にある油津港は、今は「大型観光船」の港とになっているようだ。南郷町はマンゴー町になって、鵜戸神宮、飫肥がある日南市は活性している。
今回の観光バスが利用できなかったら、ここを走る観光特急「海幸山幸」を活用する予定だった。
 古い歴史的な建物が街中に残る油津は魚介料理の名店が多く、いつか行ってみたい町である。
今日のメジは高鍋町の側の川南漁港産という。川南漁港は9割が沿岸まぐろ延縄漁業だそうだ。
延縄漁とは漁船より1,000mから3,000mにわたる幹縄を流し、その下に100本から500本の針を吊るし、活けイカ等の餌を付けて漁獲する漁法である。大間漁港は伝統的に小船による1本釣り漁がさかんであるが、ほとんどの漁港は大型の最新設備搭載の延縄漁船による漁獲になってきている。
 鯛もよかった。サワラ、ブリ、赤エビは蛋白質制限のためカットした。
ブラックニッカの氷点下ハイボール(670円)に変えた。
 椀物はタコを小豆と一緒に煮た綺麗な桜色になる桜煮。柔らかく美味。
焼物はタチウオの鶯焼と宮崎牛のステーキの二品がでた。「宮崎牛のステーキは硬くて、期待外れであった」と一昨日にこぼして、一切れだけ摘んだだけだった。
美枝子さんはそのボヤキを覚えていたのか、オプションで宮崎牛ステーキ(5800円)をでリクエストしてくれた。太っ腹の美枝子さんの奢りである。6切れであったが、村田は「俺は食べないから」と言って、私に2切れ、カミさんは一切れ、ご馳走になった。熱々でとろける美味さであった。
御品書きの宮崎牛はランクは下がる素材であるが、作り置きした肉と推察した。
 稚鯛(カスゴ)はその年の春に誕生した鯛で食べられる大きさににまで育つのは1年後である。
鯛が成魚になるのは3~4年かかる。稚鯛の天ぷらは珍品であった。
若狭小浜に伝わる珍味の小鯛寿しは、レンコ鯛(別名 黄鯛)とよ ばれる7センチほどの小鯛を3枚におろし、塩と酢に漬けこんだものに笹の葉を添えて、 小さな杉の樽に詰めた日持ちがする寿司である。
小浜で泊った時食べて、美味かったので、京都駅で駅弁として購入する好物である。
1年で11cm、3年で21cm、4年で24cm前後に成長する。9年で32cmの個体もある。寿命は10年以上、35cmの大きさのものもいる。雌雄同体期をへて、雌は雄に性転換する。
 酢物は初鰹焼切りが供された。「焼っきり」は皮の面だけをさっと炙って、そのまま食べる。新鮮なので美味かった。氷水でしめたほうがより美味いように思えた。
 漫画家 青柳 裕介(1944年-2001年)が1970年代のビックコミックスに連載した「土佐の一本釣り」を愛読でしていた。そのせいか、カツオの一本釣りは土佐が一番と思っていた。ところが春カツオ一本釣りの漁獲量は全国一は宮崎県で、全国の一本釣り漁船の半数が宮崎県の漁船とマネジャーに教えられた。
 この十数年美味いカツオを食べていない。それは美味いカツオに出会ってないからだ。
43才から48才の6年間、毎年5月に、静岡ユーザックの石橋社長から舞阪のもちカツオをご馳走になった。
このもちカツオは感激の味であった。
 舞阪での漁法は十本ほどの針をつけた縄を両翼の竿や船尾に仕掛け、カツオがかかるのを待つ引縄釣漁。
舞阪で味わえるもちガツオの作り方の特徴はその〆方にもある。カツオがかかると引揚げて頭をたたき、いったん桶で血抜きした後、氷水に漬けて持ち帰る。こうして臭みの無いモチの様な弾力のあるカツオが港に揚がる。そのカツオは脂はすくなくても旨みはたっぷりあり、お腹側の皮が薄くやわらかいので銀皮造りは絶品であった。鮨処 山野の銚子の春カツオも良かった。たたきを握りし、浅葱とオリーブ油で炒めたニンニクのスライスをのせた握りは色鮮やかで心に沁みる美味さであった。このカツオの握りを摘みたくて、5月は何回も山野に通ったのだ。その山野も店をたたんで7年が過ぎた。
 御飯は十六穀米に香物とみそ汁で〆た。
 20:00 藤井マネジャーの案内でカラオケルーム「ギャラクシー」へ行った。一時間程楽しんだ。
お1人様1時間 500円であった。
 21:15 一階のショップ「 Zaboonすとあ~ 」を冷やかした。この時間でも観光客で混んでいた。
土産品もあったが、夜食用にカップ麺も売っていた。
股が重く、足元ともふらついてきたので、一人部屋に戻った。
 バタンキューで眠りに入った。




[124] 居酒屋ブルース 574 鵜戸神宮

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 6月18日(日)22時47分26秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

飫肥杉の美林に別れて、行ってみたかった鵜戸神宮へ向かう。鵜戸神宮は「海幸 山幸」の山幸彦の息子で神武天皇の父『鵜葦草葦不合命(ウガヤフキアエズノミコト)』を祀る神社である。日南海岸フェニックスロードへ戻って、北上した。代車のエアコンは快調で心地よかった。
 鵜戸漁港近くで、右側の県道433号線(鵜戸参宮線)に移った。ガソリンスタンド前で右折して観光バスが駐車する駐車場に14:45に着いた。観光バスが何台も駐車していた。土産屋もあり、観光客で賑わっていた。
 ここで予約したタクシーに乗り換える。
海岸参道(県道鵜戸参宮線)を下る。トンネルを通りすぎて、鵜戸神宮の入り口(鳥居)に近い駐車場で降りた。ここもほぼいっぱいの状況であった。
「海岸参道」は、昭和48年の天皇皇后両陛下の御参拝にあわせて作られたもので、普通車のみ、大型不可の道路であった。
 この神社が全国でも珍しい「下り宮」であることがが実感できた。
土産屋の三ツ和荘前は参拝者で溢れていた。ここでバスガイド嬢から運玉を5個ワンセットで頂いた。
素焼きの粘土を丸めて、運の刻印がある玉で、近くの小学生が毎年作っているそうだ。
 美枝子さんとカミさんは御朱印を頂くため先発してもらった。
朱色の神門の向こうに朱色の楼門が見えた。この佇まいは趣があった。
 村田と一緒に神門を通り、本殿へ向かった。左側に社務所があった。
美枝子さんとカミさんは御朱印帳を預けて本殿へ向かったようだ。
断崖絶壁に沿う玉砂利の参道に立つと、楼門の右手に青い水平線が広がる。
門と柵の鮮やかな朱色と、周囲に生えるソテツやフェニックスの緑の絶景。楼門のまじかで二階を観た。
今年の「干支の鶏の絵」と「浄き明き心 正しき直き言」と書かれた扁額が飾ってあった。
脚は重かったが、参道を頑張って歩く。「千鳥橋」と「玉橋」の二つの太鼓橋の先に、本殿へと“下る”階段が見えてくる。“階段を下りて参拝する下り宮”を再確認した。本殿に続く最後の階段にたどり着いた。
ここからの眺望が素晴らしかった。透明な青い海に波に侵食された巨大な奇岩群が聳えていた。
荒々しい波が岩肌を打ちつけ白い波飛沫が飛んでいた。東尋坊に似た、圧倒される凄さであった。
 大きな洞窟に隠れるように朱塗りの本殿があった。屋根は、洞窟の天井につく、ギリギリに造られていた。本殿の周りは外よりも気温が低く、ひんやりとしていた。本殿の神秘的な雰囲気を、肌で感じることができた。厳かで壮麗な姿の本殿 で参拝した。願いがかなって感無量であった。
 参拝客はお参り後、左回りで本殿裏側をぐるりと回るのが習わしであった。
洞窟内を進むと暗闇になり、岩肌から滴り響く水音を聴ける静寂の世界であった。
淡いカンテラの照明がより神秘さを醸し出していた。
 豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)との約束を山幸彦が破ったため、海宮に戻ることになった際に、子への愛情と健やかな成長を願い、両乳房を岩に貼り付けたとされる「お乳岩」。見る場所や角度によっては、まるで岩全体が母の胸元に見えてくるのが不思議だ。
 日向神話に登場する山幸彦は、兄である海幸彦に借りた釣り針を無くしてしまい、探しているうちに海神(わだつみ)の国にたどり着く。そこで出会ったのが海神の娘・豊玉姫。たちまち恋に落ちた二人は海神宮で夫婦となる物語である・・・・・とブルース572青島神社で書いた。
 物語は続いて、山幸彦(彦火火出見尊)が海宮から帰られた後、身重になられていた豊玉姫命は「天孫の御子を海原で生むことは出来ない」とこの鵜戸の地に参られた。霊窟に急いで産殿を造られていたが、鵜の羽で屋根を葺終わらないうちに御子(御祭神)はご誕生になった。故に、御名を日子波限建鵜草葺不合命「ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」と申し上げる。神武天皇の父上である。
 物語はさらに続き、豊玉姫は「どうか、私が子を生む時にはお願いですから絶対に中をみないでください」
と、山幸彦に告げました。山幸彦は約束しましたが、我慢できずに覗のぞいてしまいました。
そこには大きな大きなサメがのた打ち回っていたのでした。豊玉姫は海宮に戻ってしまいました。
さて物語はこれぐらいとしまして、
 本殿のある場所から絶壁の下を見た。亀のような形をした岩に、なにやらくぼみ(枡形の穴)あり、くぼみの周りに縄がかけられていた。鵜戸神宮に残っている言い伝えによると、この縄の中に運玉を投げ入れることができれば、願いが叶うそうだ。ちなみに男性は左手、女性は右手で投げ入れる必要があるのだとか。
崖の上から岩までは12メートルと遠いので、そう簡単には入らない。
私は5回投げて、岩のくぼみには入らなかったが、1回だけ縄の内に入った。
 駐車場にむかった。途中で「おちち水」という飲み物を売っていた。
三ツ和荘前でタクシーの運転手さんに会えた。村田のサポートで風邪で体調は良くなかったが頑張れた。
 村田は喉が渇いたようでマンゴージュースを買いに行った。ささやかだが奢らせてもらった。
私は疲れたのでタクシーで待った。ほどなく三人は同乗してくれた。
美枝子さんは運玉を3回もくぼみに入れたと話してくれた。
 御朱印も頂き、絶景を堪能し私同様に大満足であった。海岸参道を通って、15:40に観光バスに戻った。
 16:40ANA ホリデイ・イン リゾート 宮崎へ帰り着いた。
 中味の濃い観光バス利用のサプライズ一杯の旅行であった。



[123] 居酒屋ブルース573 堀切峠と飫肥観光

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 6月14日(水)16時10分11秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

青島から国道220号線を南下して 日南方面に向かった。
日南海岸は絶好のツーリングコースでライダーが多い。
今回の旅行に有益な情報な情報を教えてくれたJEXERの友人で宮崎生まれの横山さんもハーレーダビッドソンを乗り継いだライダーだった。
すぐ二手に道が分かれ、ライダー達は左側の方へ 。私達の観光バスも続いていった。
これが横山さん推薦した日南海岸フェニックスロードであろう。
「日南フェニックスロード」はそのほとんどが壮大な海が広がる海岸に沿うルートで、その名のように沿道に植えられたフェニックスやワシントンパームなどの南国の樹木が印象的な道路だ。
 ガイド嬢が「このポイントが日向灘の左右から波がぶつかる景観です」と教えてくれた。
私も初めて見る珍しい光景であった。この辺が「堀切峠」であろう。遠方に水平線を望み、眼下に鬼の洗濯板がが広がり、日南海岸を代表する日南海岸国定公園の景勝地であった。海側の席を確保できて良かった。
ガイド嬢が「道の駅フェニックス」のマンゴーソフトクリームの割引券を配った。配り終わると、この道の駅の大型駐車場に着いた。
 かってフェニックスドライブイン付近の道路は山側を曲がりくねったかたちで敷設されていた。
これが直線化されたことで、海側と山側に新たな敷地ができた。宮崎交通はこの敷地を購入。通常であれば海側にドライブインが建設されるのだが、岩切章太郎が「日南海岸の景色を一企業が独占してはならない」との考えにより、海側にはフェニックスが植えられ、山側にドライブインが建設されることとなった。
宮崎市は宮崎交通から施設を買い取り、2005年4月16日より道の駅としての運用を開始した・・・・
「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典の道の駅フェニックスより宮崎交通の創業者である岩切章太郎の見識を称えるため引用した。
 ライダーが7人、愛車と共に休んでいた。ほとんどが中高年であった。
ソフトクリームは100gで蛋白質3.8g、カリウム190mgもあるためCKDの私にとってはけっこうやばい食べ物である。誘惑に負けて、売店へ行く。日向夏の味も食べたかったが、50円引き350円で名物らしいマンゴーソフトクリームを買った。バスに同乗のオーストリアの外人もこのクリームを買いに来た。
割引券を使わないので、「50円デスカウント」と教えてやった。この外人若く、ハンサムのせいかおばさんは同乗者に人気があった。
 道路を横断して海側の展望デッキから大自然の絶景を満喫した。さっきの外人は10分遅れでバスに戻った。展望デッキから横道を降りて、鬼の洗濯岩の上を歩き、写真を撮っていたのだろう。
               *
 220号線をさらに南下して、飫肥(おび)へ向かう。
バスガイド嬢が飫肥の漢字のプラカードを乗客に見せて、飫とは(音読み)「オ」で意味はあきるほど食べるで、難読地名としてたびたび話題に挙げられると教えれくれた。
福岡県の地名のひとつ雑餉隈(ざっしょのくま)の餉も難読漢字である。音読みで「ショウ」、意味はほしいい。旅人などが携帯する食糧のことである。
 右折して県道430号線移動すると山々に美しい飫肥杉の林が見える。
12:30 駐車場(無料)に到着。観光ガイドが笑顔で歓迎してくれた。
トイレが江戸時代風に造りかえられていた。案内所があり、お土産屋も観光客で賑わっていた。
 伊東藩5万1千石の城下町であった。
初代藩主祐兵(すけたか)は豊臣秀吉の家臣となり、天正10年(1582年)の山崎の戦いに活躍。さらに天正15年(1587年)の九州平定で功績をあげて、秀吉より飫肥城を与えられた。
関ヶ原の戦いでは西軍についたものの臨機応変に巧みに立ち回り家康を応援して、所領安堵した。
その後14代の明治の廃藩置県の時まで大名としてこの地を収めた。
 ガイド嬢に案内されて、食事処の服部亭へ向かった。九州の小京都と言われる静かな城下町で風情ある美しい町並みであった。、飫肥城に向かって大手門手前の武家屋敷通りにその亭はあった。
明治時代に建てられた民家で、飫肥杉で財をなした方が建築されたようだ。
ツウペアは大広間の追い込みに座った。
 地元の名産品である飫肥天や玉子の厚焼きがあって、バラ寿司の小丼に茶碗蒸しにお椀であった。
見事な日本庭園を観ながら、この地の名物を味わった。飫肥天はさつま揚げによく似た練りもので、豆腐が入っているため歯触りが柔らかく、ふわっとして美味かった。玉子焼きはプリンのようでプルルンしたスイートであった。三人は地元のボランテアが案内する歴史探訪なので、ここで別れた。
 私は自由散策で、この亭の側にある明治の外交官小村寿太郎侯の生家を見学した。不平等条約を解消した外務大臣であった。観光客は誰もいなかった。庭から、ガラス戸越しに、端午の節句の「鎧兜」「五月人形」が飾ってあった。鍾馗さんか清正さんか分からなかったが、虎の人形が迫力あった。
 大手門を眺めて、駐車場へ向かった。飫肥城に小中学校が隣接しているため、生徒に会った。どの生徒も積極的に礼儀正しくきちんと挨拶をしてこられた。この街が大好きで、観光客が来てくれるのが嬉しくてたまらない感じであった。
三人の生徒にあったが、三人すべてが丁寧な挨拶は驚きであった。
途中人力車に誘われたが時間がなく駐車場に戻った。
 観光バスはエアコンが故障して代車に変わっていた。
運転手さんは私一人のためエアコンをオンしてくれた。
 ほどなく、三人と合流できた。飫肥は予想以上の観光スポットと満足していた。



[122] 居酒屋ブルース572 宮交ボタニックガーデンと青島神社

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 6月12日(月)18時39分43秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

   4.21 ピーカンであった。映画業界が撮影時に使っていた素晴らしい快晴である。
ツウペアはラウンジロビーに9:10に集合した。本日は定期観光バスを利用した。予約なしでも乗車は可能だが、満席の場合、NOなので、キャンセル料を確認して、一週間前に予約をした。乗車日の1時間前以降にキャンセルの場合のみ100%の取消料が発生するとのことだった。また足が不自由な人が鵜戸神宮に参拝する時は観光バス駐車場と三ツ和荘(本殿鳥居前)を結ぶ急坂を一人500円でタクシー送迎と至れり尽くせりであった。
 9:17 ANA ホリデイ・イン リゾート 宮崎から、料金5500円を払って、バスに乗った。
10分で青島の駐車場に着く。
 青島参道商店街を歩いて、宮交ボタニックガーデンの白い門扉の正門に到着。
県営で無料。アコウの大木が並ぶ道を散策。濃緑のアコウのトンネルを抜けると、高さ10m近いワシントニアパームがそびえ立っている女王ヤシの並木が続く。右側は芝生広場で、さわやかな芝生の緑がカラフルな花を引き立てていた。正面がロータリー花壇で、ブーゲンビリア、ハイビスカス、ジャカランダ、アメリカデイゴ等亜熱帯の花が妍を競っていた。
 大温室で自由行動になった。20m四方のガーデンで、花木が十分育つことができるよう五面すべてが耐久ガラス使用で高さは14mある特異な建物であった。
ここは入館料はここも無料で、小さな草本類から大きな花木までがバランスよく揃い、彩り鮮やかな「トロピカルフラワーガーデン」であった。 総ガラス張りの温室は、ムッとする暑さであった。
 バスガイド嬢が世界三大花木の力工ンポク、ホウオウボクはぜひ観察してください」と言っていたが、人がいっぱいで、燃えるような赤い花が咲いていたぐらいしか見えなかった。
 南西角にはシンガポール植物園との姉妹植物園50周年を記念して、マーライオンの像が設置されていた。
ここもスナップの人気スポットで何人も順番待ちをして遠慮せざるを得なかった。
人のいないコーナーでブーゲンビリアをはじめ、ハイドゥンキングやヒスイカズラ、メディニラなど、エキゾチックで美しい花々を持ち時間20分で観賞した。
 バスガイド嬢が参加人数を確認して、青島神社は自由行動で11:30観光バスに集合であった。
               *
 黄色い花が美しいイペイの木が並ぶ園路を東に進むと、すぐ太平洋の広大な海が広がっていた。
植物園の北側には青島海水浴場があって、別のツアー客が記念撮影をしていた。
青島神社まで送ってくれるゴルフ場のカートような三輪自動車が客待ちしていた。
運転手がいないので利用できず、自力で青島神社へ向かった。
 3人に先に行ってもらい、バスで待ち合わせた。
 南国の海風が心地よかった。右側に「鬼の洗濯板」と呼ばれる珍しい波状岩が広がっていた。
大昔に海面下にあった岩が地質変動によって水面上に現れ、波や海水に浸食されて現在のような形が出来上がったらしい。注意して見ると綺麗な貝殻や 軽石が波打ち際に打ち上げられていた。
露店がその軽石と美しい貝殻を売っていた。
 左側はANA ホリデイ・イン リゾート 宮崎が見え、その右の遠方にフェニックス・シーガイア・リゾートが眺望できた。
 弥生橋を渡り朱色の大鳥居を過ぎると「海幸彦・山幸彦」神話で知られる朱色の青島神社が見えた。
島を包む森は亜熱帯性植物の群落となっており、こちらも国の天然記念物。
参道はビロー樹(ヤシ科の高木で葉が茶色に変色したれさがっている)に覆われて植物のパワーを感じた。
手水舎で手を清め、手のひらに水を受けて口を漱いで、拝殿でお参りした。
 先発の3人は蝋人形神話館「日向神話館」を見学中でいなかった。日向の地への天孫降臨から、海幸・山幸の物語、そして神武天皇による大和平定までを蝋人形の神々が登場して神話を教えてくれる展示場である。
?日向神話に登場する山幸彦は、兄である海幸彦に借りた釣り針を無くしてしまい、探しているうちに海神(わだつみ)の国にたどり着く。そこで出会ったのが海神の娘・豊玉姫。たちまち恋に落ちた二人は海神宮で夫婦となる物語である。実は小学校4年時、学芸会で海彦、山彦のお話を準主役の海彦で演劇した。当日私は37.5度の熱がでて、注射を打って頑張った。そんな思い出があるので興味深々であった。だが膝の悪い私には時間の余裕がなかった。青島神社は「天津日高彦火火出見命(山彦)」とその妃神「豊玉姫命」と、「塩筒大神(無くした釣り針は海神に逢えれば探せると教えてくれた神)」を祀っており、いずれも山幸海幸神話に因む神で、縁結び、安産、航海安全の神として信仰を集めているそうだ。参拝だけで満足して参道を戻った。
 トイレ有料は首をひねった。鳥居を抜けて、鬼の洗濯板の中にある弥生橋を歩いた。
弧を描くように延びる砂浜の海水浴場が望めた。真っ青な空をバックに、波は穏やかでは透明度が高く、そびえたつワシントニアパームが見事に調和していた。参道商店街で三人に合流できた。
 マンゴーを購入して、カットしたマンゴーをカミさんと私にご馳走してくれた。
さすがに、超高級果物は蕩ける美味さであった。



[121] 居酒屋ブルース571  天岩戸神社と手打ち蕎麦 おたに家

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 6月 7日(水)08時12分55秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

高千穂神社を参拝したツウペアは美枝子さんの運転で、県道7号を通り天岩戸神社の西本宮へ移動した。
天岩戸神社は、日本神話(古事記・日本書紀)の中に書かれている天照大御神様のお隠れになられた天岩戸を御神体として御祀りしており、天岩戸神話の舞台となった場所である。
ここで神様と御神体を同一視される人のために、整理したい。
御神体は神様自体ではない。日本の神は目に見えない存在で、御神体はその神が依り付くものだ。
鳥居前の表参道には土産や、軽食屋が並んでいた。大木で作られた鳥居の左側にある無料駐車場に入った。
欧米の外人がTチャツで車から出て、鳥居へ向かっていた。
スマホで検索していた美枝子さんは「東本宮に先に参拝しましょう」と言って、岩戸川をはさんで対岸にある東本宮へ行った。東本宮は御祭神である天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)が天岩戸からお出ましになられた後、最初にお住まいになられた場所を御祀りしている神社である。
広い駐車場には車は置いてなく、人の気配もなくて、ひっそりとしていた。参道の石段が急なので、私は車で待つことにした。20分ぐらいで拝礼して戻ってきた。
カミさんは「境内は深い渓谷にあって、人があまり行かない深山幽谷の厳かな静寂の中で参拝した。神職は常駐されていないので、御朱印・お守りなどは入手できなかった」と話してくれた。
西本宮へ戻った。西本宮は御祭神 大日霎尊(おおひるめのみこと) 『天照皇大神の別称』。
御神体は天照皇大神が御隠れになられた天岩戸(洞窟)をとして御祀りしていた。
東本宮の急な石段を登り切って、膝に負担をかけた美枝子さんに運転の労をねぎらった。
「やっと右ハンドルに慣れた」と疲れを感じさせない返事であった。
カミさんと一緒に御朱印を頂くため社務所へ急いだ。
村田は私のペース合わせて歩いてくれた。大木で作られた鳥居を抜けると、天照大御神様の鴇色の銅像が私達を迎えてくれた。天岩戸神社の案内図を観る。
 参道には高千穂神社より参拝者が多かった。左側に国歌君が代によまれているさざれ石、高千穂一帯で発見された出土品を納めた徴古館がある。右に松尾芭蕉の読んだ句碑があった。「梅が香にのつと 日乃出る山路哉 はせを」元禄7年(1694年)の芭蕉最後の春、51歳の句で「軽み」に到達した名句と言われている。
芭蕉は高千穂へは旅をしていないが、なぜこの句碑がここにある説明文はなかった。
 社務所、授与所には美枝子さん達はいなかった。参道を進むと手水舎があり、手や口を漱ぎ清めた。
招霊(おがたま)の木の先に拝殿が見えた。社殿の切妻屋根の上にある千木(両端にあるX型)と5本の鰹木(短い丸太)で格の高い神社であることがわかると言う。立派な格式の神社であった。招霊の木は九州地方、西日本に生息し、春先に白い小さな花が咲き、秋には赤い堅い実を付けるという。この実の形が神楽鈴の形になったと言われている。この神社の御神木であり、高千穂町の町木でもある。
西本宮は本殿を持たない特有の造りで、凝った装飾を省いた造りで、神話の舞台にふさわしい拝殿であった。拝殿の前で、賽銭をあげる。身をかがめて畏まり、ニ拝し、崇高な神に出会った喜びで二拍手を打った。
深々と頭を下げて一拝して拝礼を終えた。
 天岩戸神社の西本宮には、一般的な神社であれば欠かせない「本殿」(御神体を納める奥の建物)が存在しない。御神体が天岩戸(洞窟)であるからだ。その代わりに、天岩戸を直接拝むための「天岩戸遥拝所」(離れたところから天岩戸を拝める場所)が、拝殿の裏に設置されている。
天岩戸を直接拝みたい場合は、神職の案内を請い、お祓いを受けた上で、この遥拝所に通してもらう必要があるのだ。御神体である「天岩戸」は祓い清めていただいた後に西本宮から拝観することができる。
天岩戸神社ならではの厳かな儀式、約束と感心した。
 八百万の神々が集まって会議をした場所、「天安河原」へも西本宮の参道を抜けて行くことができるが膝の悪い私には無理であった。荘厳で神秘的な雰囲気を感じられた拝殿から参道に戻った。
 皇室の崇敬も厚く秩父宮殿下、高松宮殿下、三笠宮殿下を始め皇族等、度々の御参拝が記載されていた。
ある宗教団体は3000万円の寄付をしていた。
 美枝子さん達と駐車場で合流した。天岩戸神社、天安河原宮の2社の御朱印を授与所でお受けし、満足していた。駐車場の奥に手力男命が岩の戸を取り払い給う舞の像があった。
 迫力ある像に見送られて食事処へ向かった。
                 *
『手打ち蕎麦 おたに家』は村田夫妻が偶然に探した店であった。7号線の道路沿い、棚田百選に選ばれた尾谷にあった。2時過ぎに着いた。店内には地元特産品、土産物や蕎麦の栽培の写真が展示してあった。
靴を脱いで左側のテーブルに座った。先客は3人組が蕎麦を手繰っていた。
 美枝子さんの了承をもらいアサヒの缶ビールを頼んだ。突き出しによもぎのお団子と切り干し大根がでた。良い食材を使って、丹念につくっている感じでこの店やるなと思った。摘まみに煮しめ500円を注文した。
メニューを見て、高千穂名物の青竹に清酒を注ぎ焚火にかけ燗をつけた カッポ酒を探したが残念ながら記載なしであった。
 村田と私は「限定20食」の9割そばのもり(750円)を頼んだ。美枝子さんとカミさんは温かいとろろそばを注文した。トッピングのゴボウの天ぷら(150円)、高千穂の大根、ニンジン、ゴボウの煮しめは佳肴であった。綺麗な棚田を観ながら喉を潤した。
 スタッフの責任者が挨拶にきて、「昔からソバ処として名を馳せた標高800mの高千穂町五ヶ所高原で自家生産しています。その実は石臼で挽いており、かおり・味共に他の有名産地に負けない自信があります」と話してくれた。その通りの美味さであった。ツウペアは大満足で、大当たりの蕎麦屋であった。
                *
 来た道を戻って、予定の6時前にホテルに着いた。
18:20 中華料理 龍王に集合した。本日の美枝子さんの運転に感謝して乾杯した。
大活躍してくれ、責任を果たした美枝子さんはいいペース飲み、珍しく桜色の顔になった。
本当は氷点下のエクストラコールド(800円)で乾杯したかったが、責任者に取扱い出来ないと言われた。
御一人様500円の追加料金でフカヒレスープが付いてきた。えのき茸ばかりのフカヒレスープで期待外れであったが、たったの500円追加で期待したほうが無理なようだ。
蒸点心2点、白身魚のフリットの北京風ピリ辛ソース、モンゴルイカと野菜の炒め、むき海老の濃厚味噌入りチリソース煮 蒸しパン添え、牛肉の黒酢煮込み、あごだしとろろ御飯、デザートのコースであった。
 そこそこに善美であった。
 今夜は神話の郷「高千穂」の話で、かなり興奮し、盛り上がった宴となった。



[120] 居酒屋ブルース570  高千穂峡と高千穂神社

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 5月30日(火)18時05分10秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

    4.21 晴天。窓辺には、眩しいオーシャンビュー、雄大な青島ビーチの景観 が素晴らしい。
海と空との南国のブルーのグラデーションを独り占めした。
 7:00 村田と一緒に3階の温泉へ行く。トロトロヌルヌルした美肌の湯を十分に堪能した。
入浴後、ツウペアはメインダイニング レッドファエアリーへ行く。
 アジア系の外国人観光客団体がイナゴの大群のごとく押し寄せて大混雑であった。何とか座席を確保した。
朝はバイキングで地元の素材を使用しているので、選択によっては美味である。
CKDの食事療法は蛋白質を40グラム以下に抑え、腸内環境整備をしながら体調を整えるカリウムの多い野菜、果物、海草、発酵食品(納豆、漬物)をどうバランスとるかが難しい。
腸をキレイにしないと悪玉菌が増加し、毒素が増え、これが腎臓に負担をかける「腎毒素」になる。
対策として、食物繊維の多い野菜、果物、海藻、キノコを積極的に食べなくてはならない。これらには蛋白質は少ないが、カリウムが多く、腎臓機能を低下する。
ワカメは100gあたり蛋白質は2gと低いがカリウムの730mgと高い。海草類は腸内環境を整えるには良いがカリウムは多いので要注意である。透析を回避する日常生活は細心の注意が必要なのだ。
 五穀米、お粥もあったが、コーンフロスティのケロックを選択した。
 ケロックは一食分30gはエネルギー 112Kcal、蛋白質1.1~2.1g、脂肪0.1g、カリウム26mgである。牛乳200gをプラスすると、エネルギー 246Kcal、蛋白質7.7~8.7g、脂肪7.7gがプラスされる。
宮崎の郷土料理として有名な冷や汁。焼いた魚やごまの香ばしさにだし汁のうまみとコクが加わり、さっぱりしたきゅうりの歯ごたえがよかった。
ホールスタッフに牛乳の補充をお願いしたが、対応が遅く、二人目のスタッフがやっと持ってきてくれた。
コーヒー、ジュースのコーナーはステンレスボトルを持参した外国人観光客が群がっていた。
もう一工夫しないとリゾートホテルとして、一流とは思えなかった。
 温泉卵、さつま揚げ、野菜サラダ、特に、カロテンを多く含むニンジン、パブリカ、ブロッコリーをしっかりと食べた。
               *
 9時前にニッポンレンタカーがホテルに来てくれた。
料金はカローラ車両で12時間利用・対物事故免責額補償で一万円チョットであった。
 9:15 美枝子さんの運転で東九州自動車道の宮崎から延岡へ向かった。
ほとんどが一車線で時々追越車線があった。残念ながら海は見えなかった。
途中の西都ドライブインで小休止した。ここで九州ロードマップを入手した。
村田は珍しく体調不調になって、用心のため止瀉薬を飲んでもらった。
 所要時間は1時間半で延岡ICを通過し、終点北方ICで高速道路を降りた。
218号線を北西へ進み、天馬大橋西側にある道の駅 「北方よっちみろ屋」でトイレタイム。
30分で高千穂峡の入口に到着した。交通整理員が「ここで駐車してください」と強要した。
美枝子さんは「足が悪い人がいるので、ボート乗り場の近くの駐車場へで下ります」と交した。
真名井の滝近くの御塩井駐車場(無料)で車を駐車した。
 村田と私はボート乗り場へ石段を下った。30分2000円は借り賃は村田が払ってくれた。
救命胴衣を着てボートに乗った。
舟を進めて、渓谷へ向かう。渓谷間は狭い造りで、深い樹木が生い茂る中、若葉も新鮮に目立っていた。
木々から漏れる光がエメラルド色の川に映っていた。眼前の木陰と奥の木漏れ陽の明暗が心に沁みる。
高千穂峡は、その昔阿蘇火山活動の噴出した火砕流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、 急激に冷却されたために柱状節理の懸崖となった渓谷である。真名井の滝はこの懸崖から湧き出る水が滝となっていた。
間近で見ると、大迫力があった。周囲の自然と滝の雰囲気が絶妙で神秘的な光景であった。
しばし見惚れていた。村田が宮崎に行ったら絶対に立ち寄ろうと決めていた場所であった。
この絶景を観たい熱望がかなった。私も感動の一瞬を共有でき嬉しかった。
下から柱状節理の懸崖を眺め、上からの景色とはまた違った景色を楽しんだ。
 滝付近は混雑していたが、お互い譲りあって村田は巧みにボートを操ってくれた。
帰りも、来たときとは違う渓谷間の美しさを発見した。改めて違う高千穂峡の凄さを堪能した。
至福な30分で二人の旅情のハイライトであった。
               *
 高千穂神社に行く。天孫(にぎにぎのみこと)降臨の地と考えられている場所に建てられた神社。
日本神話の日向三代と称される皇祖神とその配偶神と神武天皇の皇兄、三毛入野命(みけぬのみこと)とその妻子神を祭っていた。
 この「高千穂郷」と呼ばれた地域には、500余りの神社があったらしい。その中でも格上にあたる88社を代表する総社の高千穂神社は、約1900年前の第十一代垂仁天皇の時代に創建されたようだ。
 神社の横には広い駐車場があった。高千穂峡から15分で着いた。
立派な鳥居に驚き、一礼して神様の領域へ入った。
境内は観光客もまばらで厳かな雰囲気で静まり返っていた。
 階段を登ると拝殿が見えた。正面の拝殿へと進み、 参拝した。
「二礼二拍手」の後、自分の名前を言い。神様への感謝のことばを述べて、一礼した。
美枝子さんとカミさんは右手の社殿前にある授与所で御朱印を頂いていた。
 本殿のすぐ左側に聳える2本の立派な杉の木が、しめ縄で一緒になっていた。
よく見ると木の根元がくっついて、木の周囲には沢山の絵馬が掛けられていた。
「夫婦杉」と呼ばれる巨樹であった。疲れたので絵馬の申し込み用のテーブルに椅子があったので休んだ。
 美枝子さんとカミさんは『高千穂神社』と『くし觸神社』の両社の御朱印を頂けたと喜んでいた。
 この『くしふるじんじゃ』はおとこじんじゃ。 武道の神様とも言われて、お相撲発祥の地ではないかと言われている。周囲には、高天原遥拝所、四皇子峰など、神話にゆかりあるスポットを巡る遊歩道があるらしい。だが途中から坂道が続き、到着までここから30分かかるので断念した。
下りの石段は厳しかったが、清々しい気分で駐車場に戻った。



[119] 居酒屋ブルース569 ANAホリデイ・インリゾート宮崎

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 5月24日(水)11時23分11秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

  私が宮崎県へ初めて、訪れたのは大学一年生が終わった春休みの1962.3.16であった。
一年上の先輩の小島さんに誘われて、九州旅行をした時であった。
九州周遊乗車券を交通公社新宿支店で購入した。発行日3.9で3.12から通用で3.31まで有効期間。定価が6200円とで記載されていた。むろん学割を使うので購入価格は3割引きぐらいであろう。
 小島さんはワンゲルのリーダーで旅マニアであった。国鉄時代のローカル線を  全線制覇に燃えていた。
「九州出身の寮生で泊めてくれる寮仲間を探してこい」と頼まれた。唐津市の辻本君、枕崎市の森君、高鍋町の落合君が了解してくれた。この落合君に三日間お世話になった。
そして、ここを拠点として、高千穂線(延岡駅から高千穂駅)、日南線(宮崎市の南宮崎駅から志布志市の志布志駅)、吉都線(鹿児島県の吉松駅から都城市の都城駅)を乗り潰した。私は日本の片隅に取り残されたようなローカル線に乗り、車窓風景を眺めていただけだった。乗車時間はかかるし、疲れたが、小島さんは周到な準備をして計画していたのは分かった。小島さんのおかげで旅が好きになって、二か月と村田東北を旅するきっかけになった。
 落合君の父上は高鍋町の教育委員長であった。高鍋藩は藩校『明倫館』を設立し、藩士教育に熱心だったことから『教育の藩』としても知られて、米沢藩(上杉氏)に入り、名君で有名な上杉鷹山を輩出したと教えてくれた。
 二回目は40代の前半、USACの代理店会議でシーガイヤ(サンホテルフェニックス)へ泊った。
高千穂の夜神楽でディラーを接待した。「古事記」や「日本書紀」による天照大神の孫、ニニギノミコトが高天原より地上に下った天孫降臨の神話を知った。
 三回目は阪急の九州縦断ツアーで60代前半カミさんと高千穂峡と高千穂神社へ行った。
               *
 4.20 ツウペア旅行は宮崎県になった。
この一週間風邪治らなかった。しかも帯状疱疹後神経痛が再発して、舌の右三分の一に激痛が発生した。
バッファリンでは鎮痛できなかった。
旅行中辛いと思い、医院へ行った。寺田医師から禁断薬リン酸コデインの投与を思ったが、我慢してより強力な痛み止めトラムセット配合錠と風邪治療のため抗生物質のアモキシシリンカプセルを処方してもらった。 10:40 村田が日本交通のハイヤーで迎えに来てくれた。村田邸で美枝子さんを乗せて、羽田空港第一ターミナルビルに11:50に到着した。飛行機待ちの腹ごしらえをビルの5階「あずみ野」に行く。12過ぎの入店時で7入待ち状態であった。カミさんにざるそばを頼みトイレに行った。数分間で戻ると、回転率がいいようで3人はテーブル席に座っていた。店内は以外に広く、カウンター席もあって、50名ぐらいに客が入っていた。
しっかりとした麺のコシ、蕎麦の香りも十分感じられた。つゆは、出汁の効いた辛口の江戸風で私好みであった。空港ということで、少々、高めの料金設定であった。
 保安検査場は無事通過出来た。ここからが搭乗口58へは遠い。
移動車を運転していた案内アテンダントが私のところに来て、「車の援助は必要ありませんか」と手を差し伸べてくれた。疲れてヨタヨタと歩く格好に、心配してくれたらしい。
「歩行が困難な乗客には、安全かつ安楽に目的のGATEへ移送してくれる」と言う。
遠慮しないで乗せてもらい三人と58GATEで合流した。
ANA609便は定刻13:15に出発し、宮﨑空港に15:00に到着した。宮崎市は曇天の雨模様であった。
 タクシーで国道220号線のワシントニアパーム(ヤシの木の一種)の並木道路を南下する。
巨人がキャンプした宮崎球場見えて15:20子供の国にあるANAホリデイ・インリゾート宮崎に着く。
ラウンジロビーは広く日向灘と水平線の左右に湾曲して広がる海岸線が美しい。
本日の夕食を予約し、明日のレンタカーの手配をした。
 6階のデラックスツインは青島の雄大な海が一望できるオーシャンビューであった。
部屋は広く綺麗で眺めも期待以上であった。部屋着の作務衣が、着心地がよく、そのままでホテル内を自由行動が出来た。村田と一緒に3階の温泉へ行く。日向灘を望む展望浴場あった。
泉質はナトリウム - 炭酸水素塩・塩化物泉美肌の湯、入浴すると肌がヌルヌルした。うたせ湯が気持ち良く癒された。露天風呂は解放感あふれ、日向灘の海風が心地よくリラックスできた。
舌の痛みも少し緩和されてきた感じであった。
 18:00和食処 旬魚 日向雫(ひむかしずく)へ行く。個室は掘りごたつであった。
ツウペアは氷点下のエクストラコールド(800円)で乾杯。
先付 ヒラマサ、カマス、ニベのカルパッチョ。オオニベは、日本でも日向灘周辺海域でしか獲れない、まさに宮崎県を代表するスズキに似た魚だ。
造里はマグロ、サワラ、ブリ、タイ、赤エビであった。クロマグロの幼魚のメジが上品な脂で美味い。
美枝子さんがサザエの壺焼をオプションでリクエストしてくれおごってくれた。絶品であった。
ブラックニッカのハイボール(670円)に変えた。椀物はタコを小豆と一緒に煮ることにより、小豆のアントシアン系の赤色が、タコのタンパク質と結合して綺麗な桜色になる桜煮。
焼物はタチウオの鶯焼と宮崎牛のステーキの二品と豊富。宮崎牛は硬くて、期待外れで一切れだけ摘んだ。
強肴は稚鯛の天ぷらで佳肴であった。酢物は初鰹焼切りが供された。「焼切り」と「たたき」は別物である。「焼っきり」は皮の面だけさっと炙るので生の部分が多い。また,焼いた後に氷水でしめる「たたき」と違い,「焼っきり」はそのまま食べる。新鮮で美味かった。御飯は十六穀米に香物とみそ汁で〆た。
この和食処の藤井マネジャーがサービス満点で素晴らしい宴席であった。



[118] 居酒屋ブルース568  玉ノ井塾17年度活動方針、体制と人事

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 5月16日(火)14時08分13秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

4月度 例会案内と役員及び編集委員の集合時間を4.10に塾員にメールした。

?4.19(水)東陽町産業会館で次のスケジュールを開催します。
準備の都合上、必ず出欠の返事を今週4.14(金)までにメールを野村まで返送ください。
役員及び編集委員の集合時間  17:45~18:5
昭和史研究会 18:07~18:50  講演者 野村 昭和の日本酒
例会 18:55~19:50
なお新年度の塾費12000円(4月~来年の3月)を徴収させていただきますので、ご準備ください?・・・・が内容であった。

 メールの反応は弱かった。
事前に鈴木、松本、鍋谷塾員からは欠席の申し出があった。小倉塾員は入院中、阿久津塾員も仕事と総会開催は危ぶまれた。
 私は開催のため、塾員へ出席のための電話をした。
昭和史研究会の参加人数の確定に松本先生、鍋谷さんとメールのやりとりをした。
こちらも反応は鈍く、心配の日々であった。
               *
  桜が散った4.19に恒例の総会が開催された。
8名の塾員の出席でした。福田、高木(新)、高木(繁)、白崎、北沢、山本、小林、(敬称略)。
昭和史研究会は高木(繁)、北沢、小林、野村の4名であった。継続することが大切なので私が講演した。
風邪と帯状疱疹後神経痛で口調が不明瞭なので塾員の皆さん読んでもらった。
日本酒の講演は35分で終わり、総会を開催した。司会は私が兼任した。
 とりあえず、塾員の皆さんの意見を聞いてみることにした。
高木(繁)さんから「玉ノ井塾を人に説明しずらい、それと玉ノ井思潮の発刊必要に疑問」の意見がでた。
驚きの意見であったが、山本さん、高木(新)さんの発刊の必要性の話で納得しないまでも黙った。
これ以上は書かぬが花であろう。
 総会は先期の総括、小倉さんの入院による監査の遅れを報告した。体制人事が以下のように決まった。
               *

2017年度活動・運営方針
塾長 野村武司 の2016の総括
 塾再出発から25年を迎えます。塾員の構成も相当高齢化し、それに伴う様々な理由で活動に参加できない方も出てきました。
塾活動も縮小気味で沈滞する中、今後の存続を危ぶむ塾員の声も出てきました。
私自身もCKDの病を得て、これまでのようなフル活動はままならなくなっています。
しかし、依然として玉ノ井塾はお互いが高め合うための場であるばかりでなく、精神衛生の面からいって心地よい場です。高齢化が進む中、なお生き方を学ぶ場であることに変わりはありません。
70代になると、別れは多く、出会いは少なくなります。
月一回塾の仲間たちに会えることは素晴らしいことと思っています。
 2016年度は1.玉ノ井思潮19号が発刊できました。
2.塾運営の経営も慢性赤字から脱却できつつありますが、会計委員長が急病になり正確な数字は監査後6月度までに報告できる予定になってしまいました。
塾員のほとんどが、あたりまいですが塾費納入していただいたこと思潮の応分の購入のお蔭です。
3.松島先生の天国への旅立ちは痛恨の極みでした。
4.小林(正)塾員の入塾と退塾は3月に宙の会の会長の小林さんが退塾しました。
5.阿久津塾員の塾活動の減速、小倉塾員の長期入院による監査の停滞・・・・が総括されました。
2017年度は塾員は福田、高木(新)、松本、小倉、山本、白崎、鈴木、北沢、鍋谷、村田、高木(繁)、小林、岡崎、阿久津、休塾宮地(敬称略)です。
総会では、塾廃塾、例会の中止、思潮の発刊、イベント、役員の交代等色々と 議論しました。
塾費の納入、例会等出欠の返事、思潮への発刊を条件に新体制で塾活性に邁進します。
塾員の皆さんの積極的協力をお願いします。先期に継続して、『例会』と『玉ノ井思潮』の発刊を主軸に活動をして参ります。そして塾員の年齢や体力にあった催しも企画します。
緑陰講座、西ポッチ会も活性します。
 今後、各塾員は塾の一員として心地よい汗をかき、好奇心を持ち続け、互いに高めあうことが、今後の人生の大きな糧になると信じています。
 これからの一年間、引き続き塾長を務めさせていただきます。体が多少不自由になっていますが、特に悲壮感はありません。
私自身大いに生きがいを感じながら、塾の活性化にさらに誠心誠意努力する所存ですと述べた。

予算・会計
各塾員の協力でアグレッシブ会計を継続します。 (塾費納金、玉ノ井思潮の購入に協力ください))

塾員の構成
塾員の高齢化に伴い、さらに塾員の入会に努めます。

編集委員会
『玉ノ井思潮』を「下町の総合文化誌」を掲げ発刊します。予算の圧縮を図り、コストの軽減に努めます。
このため編集委員会をより充実させます。
編集長(役員)に北澤塾員を昇格し白崎副編集長の2名の正副編集長体制で強化。

企画委員会
昨年度同様(七福神巡り等)、山本企画委員長は様々な企画を実施します。私は青春18きっぷを使用した1泊2日の離島めぐりを計画したいと思います。

昭和史研究会
松本、高木(繁)、鍋谷、北沢塾員担当でオープン化を推進し、玉ノ井塾へ 入会実績を達成する。

緑陰講座
松本邸の別荘を緑陰講座と西ポッチ会の拠点として位置付け、様々な充実したかつ新鮮な活動を展開します。

西ポッチ会
活動のさらなる充実に努めます。体力に応じたいくつかのコースを設定、無理のない、ゆったりとした計画を立てます。
西ポッチ会鈴木会長は今期は天城山を計画します。

新ホームページの作成
石部さんの作成したホームページのアルバムと資料箱は石部さんの要望で2016.3.31で閉鎖になっています。
2017.4.30を目標に新ホームページを作成(阿久津塾員担当)して情報共有、交流の場として、塾活性の予定でした。作成予算2万円の了承されているので再挑戦する。すべての塾員に積極的な投稿を呼びかけます。

2017 玉ノ井塾新体制
○野村塾長 総括
事務局
○福田副塾長 運営
○ 例会連絡:塾長、編集会議:鈴木、 昭和史研究会:松本 、西ポッチ会:鈴木、企画イベント:山本
(敬称略)。

松本邸での緑陰講座
○松本塾員、山本塾員、鍋谷塾員、野村塾員

予算会計
○松本塾員 鈴木塾員(玉ノ井思潮担当)会計管理
○小倉塾員 会費徴収・会計報告
(6月まで、野村が新年度塾費12000円4.19日現在、小林、鈴木、北沢、白崎、山本、村田、野村は入金済みです)。
ホームページ
○阿久津塾員、鈴木塾員、岡崎塾員担当
総務
○福田塾員、村田塾員
編集委員会
○北沢編集長(役員)、白崎副編集長、鈴木塾員、小林塾員、阿久津塾員、野村塾員、
  企画委員会
○山本委員長、高木(新)塾員、鍋谷塾員、北澤塾員、阿久津塾員、

  昭和史研究会
○松本、北沢、鍋谷、高木(繁)塾員担当
西ポッチ会
○鈴木会長、野村塾員、山本塾員、鍋谷塾員

会計監査 ○松本塾員

以上の体制で、記念20号の玉ノ井思潮発刊、例会、分科会、企画イベントを充実して、塾活性に邁進してまいります。
               *

二次会は20:15男鹿半島の二次会の出席は福田、高木(新)、高木(繁)、白崎、北沢、山本、小林、(敬称略)、小生と7名であった。 「乾杯は塾長だ」の声援で、私の発声で宴はスタートした。
定番の田舎煮が出て、旬なまのノレソレ供された。私の初物である。わさびじょうゆで食べる。
鮮度の良さに左右されるが美味かった。
刺盛りはスッコランドの黒マグロ、新鮮なカンパチ、水ダコ、ツブ貝に珍しくトリガイが供された。
頬のマグロが絶品であった。焼魚サメガレイであった。
穴子と海老の天麩羅も供された。本日の祝い酒は赤ワインとジョニ黒であった。〆はあんこう鍋であった。
 山菜料理のばっけ味噌は全員の土産になった。恒例の塾負担金で6000円の領収書をもらった。
 福田、高木(新)、高木(繁)と私の相乗りタクシーで帰った。



[117] 居酒屋ブルース567 上野の桜と龜屋一睡亭

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 5月15日(月)11時04分33秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

  4.6 上野公園に花見に行った。
鍋谷さんが上野にある新しい会社へ移った。「花見の後で、会社案内したい」のお誘いであった。
12:45 西郷さんの銅像で待ち合わせた。今日の天気は晴天。絶好の観桜日である。
3.26に開花宣言したが、寒さが戻ったため開花が遅れていた。
この3日間続いた暖かさで開花が進んで満開に近づきつつあった。
 約400年前に、寛永寺を創建した天海僧正が吉野山から桜を移植させ、以来、江戸一番の桜の名所として今日に及んでいた。ここは、「花の雲 鐘は上野か 浅草か」の芭蕉の句に詠われるほど日本人にとっては馴染みのお花見スポットである。
 上野公園一帯には約1200本の桜があり、桜を目当てに多くのお花見客でいっぱいであった。
約束した時間前なので、桜並木を歩いた。
 場所取りが宴席を確保していた。「ふらっとお花見処」は満席状態であった。
植木にネットがかけられ、立ち入り禁止のフェンスが多くなっていた。
また看板も立てられ「お花見ルール」を掲示してい。上野公園お花見5つのルール「さくらさく」であった。
「さ」:さくらをみんなで大切にしよう
「く」:くつろぐ中にも礼儀あり
「ら」:らいえんしたら、火気厳禁
「さ」:さいごには後片付けとゴミ持ち帰り
「く」:くらくなる 夜8時には宴会終了
ルールを守って楽しくお花見しましょう。これがルールであった。
「うえの桜まつり」は3.18にスタートして、4.9に終了する長い期間の祭りと知った。
開花宣言前、さくらは蕾だけの状態であった。情けない光景で、当事者はさぞ気お揉んでいたと推測できる。
 携帯で連絡し、鍋谷さんに会えた。場所取りで宴席を確保している方に了承してもらいシートに座った。
私がテルモスのサーモスにいれて持参した焼酎は「風譚」である。
そのお湯割りを「美味いねえ」と鍋谷さんは大喜びで飲んでくれた。
『風憚』は夢の芋と呼ばれている栗黄金と伝統の黒麹で造った本格芋焼酎です。
栽培が難しい上に、醸造も難しいこの芋は、えもいえぬ味わいを醸し出します。まさに夢の芋。
まろやかで気品のある、華やかな香味に含まれる至福のひとときをどうぞ。
上品な芋の香り、味わいはとろりとした芋の甘味が印象的です。これはWEBで検索した蔵元コメントである。
 今日の風譚は数量限定244/800 芋麹仕込みの超ブランドである。
芋の旨みがそのまま蒸留されたような凝縮感とコク。
後半の余韻が長く続くあたりにこの焼酎のクオリティの高さを感じた。
 鍋谷さん夫婦は来月お嬢さんが住むアメリカに行く話をしてくれた。
楽しそうに話してくれたが、異国で生活するお嬢さんを心配する心情を察した。
阿久津君の話になった。
松戸にあった彼の拠点からよりビジネスチャンスが広がると思い池袋を紹介したそうだ。
 私も2.1の昭和史研究会以来会ってないので、連絡をとってみると話した。
風が吹いて、桜の花びらがサーモスのカップに浮いた。淡い桜花の色に染まった。
  13:20 不忍池へ下った。ここも花見客で賑わっていた。
広小路の傍にある「うなぎ料理 亀屋一睡亭」へ入った。上品で雰囲気の良い店内であった。
鍋谷さんはビールの中瓶を注文してくれた。何となく鍋谷さんが奢ってくれるような感じであった。
鰻丼2600円を希望した。だが鰻重の高いほうを頼んでくれた。
「串打ち3年、裂き8年、焼きは一生」との言葉の通り、うなぎは難しい料理である。
静岡県大井川町の伏流水で育てられた鰻『霜降りうなぎ』を使用していた。
『霜降りうなぎ』とは幻の幻のブランド鰻といわれる『共水うなぎ』の別名であろう。お米は、北魚沼産の特別栽培米コシヒカリ。独特の粘り気と甘味あっって美味かった。タレも私の好みであった。
大当たりの店であった。割り勘を主張したが勘定は鍋谷さんが払ってくれた。
 この『龜屋一睡亭』さんは、江戸時代から続く最中の皮を造る和菓子屋で、1950年にうなぎ料理店に転業し、現在で10代目という老舗であった。
食後にこの店に近くにある鍋谷さんが移った「新会社」を見学して別れた。
私はメトロで東陽町へ行った。タクシーで緑道公園の桜を見物した。
花見客は誰もいないで、ゆっくり観桜で来た。
 鍋谷さんのおかげで、実に楽しい一日であった。



[116] 居酒屋ブルース566 寿々代の立林智栄子さんの告別式

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 5月10日(水)16時35分5秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

  3.31 寿々代の清水さんの姉さんの告別式に行く。葬儀式場は亀戸天神町会会館であった。
桜の開花宣言があった3.26に寿々代の清水さんから
「姉が天国へ、旅立ちました。お兄ちゃんと姉さんは昔からの友達なので、ぜひお焼香をしてやてください」と訃報連絡が入った。
昨夜に続いて、11:15にご焼香をした。
喪主の幸子女将はよく来てくれたと目礼で返してくれた。都鳥の若旦那も会葬にきていた。
 故人と最期のお別れ時間がきて、「別れ花」の儀式になった。
棺の蓋を開け、供花を短く切り取り、一人一輪づつ棺に入れながらお別れを告げていた。
 私も白い花を顔の周りに、置かせてもらった。美しく、穏やかなお顔であった。
出棺になった。都鳥の若旦那も棺を運んで霊柩車に乗せていた。
 佐藤葬儀委員長が別れの挨拶した。
亀戸天神裏に三業地が許可されたのが明治38年のことで、昭和5年頃には芸妓屋89軒、芸妓236名、
料亭11軒、幇間4名、待合79軒を数えたそうだ。
戦後も花柳界は長らく存在するも、三業組合は平成9年に解散をした。
その花柳界を立派に支え、町会にも貢献した人と故人を称えた。
そして会葬者に謝辞を述べた。喪主の幸子女将は深々と頭を下げてお別れの挨拶した。
霊柩車の扉は閉じられ、長いクラクションとともに火葬場へ向けて出発した。
私は会葬者と一緒に合掌して見送った。心に残る印象深い葬儀であった。
 幸子女将は姉のため、姉の供養のため、心血を注いだのであろう。見事な差配であった。
返礼品も一流ホテルの抹茶のスポンジケーキも気が利いていた。
 昨夜会葬御礼をみて、清水さんの姉さんの名前が立林 智栄子さんであることを知った。
親戚の供花から三島生まれが分かった。
                *
 58年前、智栄子さんは亀戸のトップクラスの芸者さんであった。彼女は私の家の客と恋仲になった。
その客は私を可愛がって、当時胃痛で悩んでいた私に新薬キャベジンを土産に持って来てくれた、40代のナイスガイであった。
 恋は一目で火花を散らし、やがて真っ赤に燃え上がっていったのだろう。
相思相愛でも燃え尽きるときがきた。
その客は中小企業の社長であったが、錦糸町でクラブも経営していた。
智栄子さんが電話をしても、出てくれなくなった。
そのクラブへ行って、その客を店の外呼び出してくれと彼女にお願いされた。
迷ったが、真剣な頼みなので、そのクラブへ行った。
 その客は「彼女とは別れたので逢いたくない」と言った。
「こういう頼み事はやってはいけないよ」と注意された。
 私はそのことを、彼女に伝えると、彼女は泣き出した。このケースは未経験で慰めようがなかった。
雨がしとしとと降って、相合い傘で錦糸公園を歩いた。
彼女は泣き続けていた。映画のワンシーンのようであった。彼女との鮮烈の思い出である。
               *
 この日、JEXERで30分水中ウォーキングした。その後に日立の工場のあった亀戸中央公園へ行った。
桜は広場の東側は七分で西側五分咲きであった。
桜に囲まれ、4組がシートを敷いて、宴会をしていた。花見客が少ないので今年初めての桜を観賞できた。
久しぶりに、スナック千鶴に行く。一升瓶でキープした芋焼酎三岳はまだ残っていた。
飲みながら、香取神社の敬神会で智栄子さんと一緒にいったバス旅行等で偲んだ。
客は来なかったので、ママに生ビールを3杯おごった。
 喉の調子は良くなかったが、カラオケも歌った。
美空ひばりの車やさんを聴くとあのシーンを思い出す。それ以来車屋さんのお手伝いはやったことない。
    作詞:米山正夫
 ちょいとお待ちよ 車屋さん
 お前見込んで
 たのみがござんす この手紙
 内緒で渡して 内緒で返事が
 内緒で来るように
 出来ゃせんかいな

               合掌


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