玉ノ井塾暫定掲示板



カテゴリ:[ ビジネスと社会/経済 ]


139件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[141] 居酒屋ブルース 589 東横イン函館駅前朝市とシェアホテルズHaKoBA函館

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 8月19日(土)21時15分25秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

7.1  8:00に目覚めた。朝風呂を使って、サッパリした。
本日泊まるシェアホテルズHaKoBA函館にリックを預けたかった。
実はこの日函館マラソンがあって、私の好みのホテルは予約できなかった。やっとこさヒットしたのが女性用ドミトリールームのシェアホテルであった。
ドミトリー (dormitory) とは、ユースホステルやゲストハウス・山小屋などの宿泊施設において、相部屋を前提とした部屋のことである。
通常、室内には2段ベットと荷物保管用のロッカーが置いてある。 トイレ、シャワー等は共同である。
ドミトリーを利用するのは主に欧米人であるが最近は中国、韓国も多いらしい。
私は沖縄でミコノスリゾート南風という名前のゲストハウスに泊まった経験があった。
慶良間諸島のアクセスに 便利なとまりん(泊港)より徒歩2分にあった。一見はギリシャ風というか地中海風の白色の凝った内装であった。
阿久津君、小倉さんが一緒だったので予約したが、フロントにはメッセイジと鍵が置いてあるだけだった。
貴重品を預けるようなセイフテイボックスはなかった。大男の黒人が通路に陣取っていて、危険を感じた。
恐る恐る泊まる部屋を探した。2階の奥の私たち4人部屋の隣が女性専用のドミトリーの部屋であった。
外人二人が大声で会話していた。
 洗面所に安物の歯ブラシが10数本あり、東芝製水洗トイレ、シャワーが共用であった。
、とうなん一日3時間働いて、月給3万円でアルバイトを募集していた。
このゲストハウスは一泊1950円と超格安であったが、熟睡は出来なかった。
自分の荷物はすべて自分のベッドの上に置き、盗難を監視していたからだ。
 本日の女性専用のドミトリーに私一人であれば4400円と多少高くても、リスクマネジメントでき、面白い体験もあるかもと思い予約したのだ。
 アクセスは末広町と函館競馬場から遠くなり、預かってくれない可能性もあるのでリックを預けに行くことを断念した。
 8:20 朝食はビュッフェでおにぎり(高菜と胡麻の二種類)、みそ汁、塩辛、ひじき煮のお惣菜、サラダバー、トースト、バター、ジャム、コーヒー、ジュースであった。
お母さんの手作りのような朝食であった。エントランスのロビーがレストランになったので、テーブル数が少なく、満席であった。半分は中国観光客であった。大勢の団体客でない小グループの旅行者のせいか五月蠅くなかった。次々と泊り客が並ぶので相席になり、ゆっくりできる感じではなかった。
 中国の中年女性がコーヒーのスプーンで味噌汁を飲んでいたのは驚いた。
冷たい水の持ち出し禁止の張り紙はあった。
 おにぎり2個、味噌汁、サラダをいただいた。フロントで5643円で精算して、ホテルを後にした。
 函館駅から市電で一日乗車券600円を購入して、競馬場前で9:45に降りた。
1レース発走直前であったが、Bお-98の指定席券が1000円購入出来た。
脚の悪い私には、疲れないし、馬券が買いやすいのでラッキーであった。
リックは競馬場に預けた。
 やる気がみなぎるとき、携帯が鳴った。シェアホテルズHaKoBA函館の男性スタッフからであった。「女性客から女性専用のドミトリーに年寄りでも男性との相部屋は嫌だとクレームがきて、男性専用のドミトリールームへ移ってくれないか」の依頼であった。
 私はその依頼を拒否して、前途多難は予測できたがゲストハウスをキャンセルした。
 気力は萎んだが、指定席へ急いだ。
 




[140] 居酒屋ブルース 588 函館の夜 

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 8月16日(水)12時21分12秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

  19:30  待望の大門横丁にある南かやべ網元直営店「炉端 大謀」に歩き着いた。女将さんに挨拶した。
昨年、阪急交通社の函館スペシャルフリープラン4日間の交通費、ホテル代込で一人29,800円でカミさんと利用した。その5.25、5.26の二日間、連荘で開店の5時に予約し、この店で食事をした。
 当時胃潰瘍だったので、大好きなヤリイカ、水タコの刺身は遠慮せざるをえなかった。
そのため炉端焼き中心にアスパラ、塩辛付きジャガイモ焼、お薦めの自家製ミンククジラのベーコン、宗八カレイの姿焼きを注文した。
 翌日は女将が頼まないのに、サービスと言って、ヤリイカの煮付けを2杯だしてくれた。
このイカの卵が蕩ける美味さで、御飯が進んだ。刺身が食べられないのを記憶して、気配りしてくれたようだ。
 旅人には心地よく、嬉しかった。当然感謝のお礼もし、この店が益々好きになっていった。
 そのようなお世話になったので私を覚えてくれていた。
カウンターは満席であったが、オープンテラスのテーブルに座った。
 半年後の11.6~11.9 啄木亭に泊まる阪急交通社の函館スペシャルプランでカミさんと函館へ再訪した。
この時は雨と霙でカミさんが風邪を引いて、残念ながらこの店へは行けなかった。
 65歳ぐらい女性スタッフが注文を訊きに来た。お薦めのお品書きは見えないので、とりあえず、生ビール、活〆のスルメイカの刺身、塩辛付きジャガイモ焼、松前漬けを頼んだ。
直ぐに、生ビールと松前漬けが供された。空腹であったので、ビールが美味い。自家製の松前漬けはカズノコも多く、佳肴であった。
スルメイカの刺身、塩辛付きジャガイモ焼も出てきた。酒は梅酒のロックを頼んだ。
イカは麦イカで形は小さいが、肝は二つ付けてくれた。少し咀嚼し、飲み込んだ。鮮度抜群で甘い。
肝も併せて摘んだ。想いがかなった沁みる味であった。
 相席の夫婦もこの店が贔屓でよく食べに来ると言う。お互いこの店の魚の情報交換をした。
やはりイチ押しは活〆のスルメイカの刺身であった。
 30分は経過したが、カウンターの席は空かなかった。宗八カレイの焼物は諦めて、塩辛付きジャガイモ焼を食べてこの店を後にした。勘定は安く、3000円でお釣りが来た。
               *
 腹が満たないので、大門の側にある菊水小路の「太郎 やきとり店」へ行く。
この小路は昭和感が漂う、寂れた感じの居酒屋が並ぶ路地横丁であった。
大門という由来も大きい門が商店街とを隔てて、大門より先は遊廓街だったからのようだ。
往時、菊水小路は親不孝小路と呼ばれて、二階は全て置屋だったらしい。
 太郎の前の店が混んでいて、盛り上がっていた。
店内に入る。L字型のカウンターにアベック、常連客らしい老人客が二人だけで静かであった。
女将に断って、カウンターに着席した。
 生ビールを注文し、焼鳥はおまかせをタレで頼んだ。
「元巨人の中畑清『函館 中畑清 熱唱流れ旅』の テレビを見て来た」と告げた。
女将は「どこから来たの」と笑顔で訊ねてきた。「東京の下町で、柴又帝釈天の近くの亀戸」と答えた。
 昭和ご当地ソングを求めて旅から旅へ、全国の酒場を「流し」となって歌い巡る。相棒は、「和田弘とマヒナスターズ」の元ボーカリストで、 昭和歌謡おたく芸人のタブレット純であった。
絶好調の清が「北酒場」「函館の女」を披露した面白い放映であった。
 生ビールとお通しの「めかぶの三杯酢」が到着。
「この店シーンが一番良かった」とヨイショすると、女将は喜んで話が弾んだ。
店の前の賑やかだった酒場は今日で閉店になるという。哀愁漂い、しみじみとした寂しさを感じた。
暖簾に「やきとり」と書いてあったが、北海道は豚肉である。
2009.10.9 江差に行ったときに、「焼き鳥 さかえ屋」の75歳の品のいい女将にこのことを教えてもらった。全て女将自ら串に刺し、間にタマネギを挟み、炭火でじっくりと焼いて塩で食べた。
忘れられない味であった。80歳を過ぎてもまだまだ現役なので、再訪したいと思っている。
 大将がお酒をふりながら丁寧に焼き上げてくれた焼鳥9本が供された。
熱々の豚のカシラのネギ間である精肉を秘伝のタレで食べる。色こそは真っ黒だったが、甘みのある優しい味であった。女将が酒をかけると、臭みがとれて美味しくなると説明してくれた。
アベックは二人とも40歳近かかった。男性が勘定を払い、女性は礼儀正しく御礼を言っていた。
職場仲間の飲み会での流れあろうか、怪しい関係はないと判断できた。
もう一人の客はカレーの出前を取って、土産ににしていた。先生と呼ばれていたが、我が儘な上客のようだ。
明るい女将は巧みにさばいていた。
心臓、肝臓(レバー)も重厚感のあるタレは味に深みがありやみつきになりそうだ。
タンも食べたかったが、ボリューム満点の串であったので次回のお楽しみになった。
勘定は1500円でお釣りが来た。無口な大将と女将が「函館に来たら、寄ってください」と別れの挨拶をしてくれた。
 ママさん?楽部に歩いて行く。テーブル席、奥のソファーも満席であった。
この店も10年以上来ているがこの様な千客万来は初めてであった。
帰ろうとすると、客が自主的に席を空けてくれた。
ユニバースか3丁目へも行きたかったが、その席に座った。
 ニッカのハイボールを頼んだ。
「競馬にきたのね」が挨拶であった。「商売繫盛ですね」と言う。「何年に一度はこんなこともあるのよ」と答えてくれた。
優先的にカラオケの「暗夜航路」を歌わせてくれた。このテーブルは夫婦できていた客が二組いた。
その奥さんが競争して歌っていた。
奥の客は男性7人が大声で談笑していた。22:30頃二組の夫婦は帰って行った。
「関東春雨傘」、「函館の女」、「石狩挽歌」、「富士」、「宗右衛門町ブルース」を歌い、ママの希望で元禄名槍譜・俵星玄蕃を歌わせてもらった。
何か所か不満足であったが、この歌だけ拍手喝采であった。
 ハイボールは3杯以上は飲んだようだ。看板近く12時に清算した。
2000円でいいと言ったが、3000円を払って、明日も8時に来ると約束した。
タクシーでホテルに戻った。
いつ来ても、函館の夜は最高であった。




[139] 居酒屋ブルース 587 ブルーマーメイドで函館へ

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 8月13日(日)09時15分10秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

14:20  定刻にブルーマーメイドは青森港を出航した。
船尾の上層部デッキに移動した。私は更に上のデッキでずっと立っていた。
濃い藍色の海が美しく、海峡の風も気持ち良かった。青森の頭文字である「A」をかたどった三角形の外観が特徴の観光物産館アスパムが屹立していた。地上15階、高さ76mの正三角形ビルで、青森県の観光と物産の情報基地らしい。展望室(13階)地上51mからの眺めが素晴らしい展望台があるらしいがまだ行ってない。
威容であった。帰りに寄ってもいいかなと思った。デッキ甲板へは私一人であった。
意外に平館海峡風が強くなってきた。航跡を見ながら最上デッキを降り、15分で船内の大きな窓がある右側のプロムナード席に戻った。
30分ぐらいで夏泊半島を過ぎる。少し疲れたので、スタンダードの10帖ぐらいの大部屋へ移動した。
部屋は誰もいないので、枕を借りて大の字でになる。
この部屋は下船まで私一人の貸切であった。疲れていたのと揺れが少ないので小一時間の仮眠が出来た。
部屋に設備された客室用運航情報モニターを見ると、津軽半島の外ヶ浜を出て、下北半島の北海岬を通過するところであった。
あと30分で平舘海峡を抜けて、津軽海峡に入る。もうひと眠りと目を閉じた。
結局眠れなかったので、さっきの船尾のデッキに移動した。
 見渡す限りの水平線に囲まれ、波の音しか聞こえない船上からの景色も悪くないが、緑がある岬のほうが美しい。仏ヶ浦を眺めて、右側の竜飛岬を望んだ。
私はこの航路一番の景観と評価している。
海峡の風が強く10分で部屋に戻った。
               *
 私が初めて函館に渡ったのは1963.8.2であった。
家庭教師をしていた森さんのご主人との二人旅であった。花巻温泉に泊まって、青函連絡船を利用した。
当時の大部屋は7倍の広さで、大混雑で横になれる乗客4~5人であった。私達も横になりたくて、連絡船内上級変更券(2等から1等)358円を購入した。
このブルーマーメイドならスタンダードの上のコンフォートへのアップは1340円かかる。当時デッキも乗客が多く、1等に移っても4時間の船旅は苦痛であった。
 函館駅は下車しないで、洞爺湖のロッジに泊った。登別温泉と泊を重ね、千歳空港でご主人と別れた。
私はJNRの北海道周遊券(通用発売日共18日8.18まで有効)を6600円で購入していたので旅を続けた。
襟裳岬のユースホステルを利用。旭川、名寄から天売島、焼尻島の離島を巡った。
 札幌に戻って、先輩の官舎で二泊した。
8.13 P列車寝台券上段600円を購入して、網走へ行く。オホーツク海、原生花園観光して釧網線で標茶駅で下車した。観光地でなかったが原野の放牧地の広さに驚いた。車中で出会った30代のお姐さんに東釧路の飲み屋でご馳走になった。彼女の知り合いの宿に泊まった。
 帯広の友人宅で二泊して、初めて農耕馬に乗った。然別湖に感激して湖畔の宿に泊まり、札幌に戻った。
松前で泊まり函館から青函連絡船で青森駅に帰り着いた。
 大学3年生の忘れられない夏の旅であった。
                *
 乗船して3時間15分が過ぎ、船は津軽海峡を進んで函館湾に入っていた。
函館山が近づいて津軽海峡フェリー函館支店のビルが見えた。
ゆっくりと接岸し、10分で目標地点に着船した。車群が先に出て、18:05 下船できた。
時間もかかりバスの連絡も悪いが、お財布重視ならフェリー利用が安い。
来年は1600円の青函フェリーも検討してもいいかなと思った。
 シャトルバス 18:35 函館ターミナル発 で 運転手は女性であった。
「東横イン函館駅前朝市は何処で下車をしたらいいか」を訊ねた。「ラビスタより函館駅が近い」と教えてくれた。
25分で函館駅に着いた。料金は310円で乗客は前橋市から夫婦の3人であった。
その奥さんからホテルパコ函館への道順を尋ねられた。私も泊まった大森町のホテルなので丁寧に説明した。
 19:05東横イン函館駅前朝市でチェックイン。シャワーで汗を流した。



[138] 居酒屋ブルース 586 津軽海峡フェリーターミナル「ハーバーキッチン」

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 8月 9日(水)11時16分26秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

  6.30 空梅雨のせいか暑い日が多く6月の後半は体調が悪かった。
大人の休日倶楽部パス期間は玉ノ井塾の決算報告、昭和史研究会、佐藤商事の株主総会、鍋谷夫妻との館山旅行とスケジュールが詰まっていた。
デイトレも不調で懐も淋しかった。流れはこのパスでの旅行は断念であったが、函館競馬の魅力が勝った。
8:40 はやぶさ7号に乗車して、新青森駅に向かった。列車は混んでいた。
大宮駅から乗車した旅行者が隣のB席に座った。
サンダルにリック、Tチャツと旅慣れた感じであった。かなり太目の方で窮屈そうであった。
55歳になったので、初めて大人の休日倶楽部パスを利用して、函館へ行くと言う。
大宮駅での待ち時間中、スマホから青函フェリーが本日までキャンペーンで2割引き1600円を知った。
青函フェリーに電話予約をしたら予約出来たと言う。
 私も津軽海峡フェリーを利用して2500円で函館に渡り、競馬を見に行くと話した。フェリーで函館へ渡る共通点で親近感が湧いて会話が弾んだ。趣味は旅行とゴルフで、関東中央病院で糖尿病治療をしていたことも話してくれた。
「信州大卒業ですね」と訊ねると「そうです」と答えくれた。「失礼ですが、職業は教師ですね」と続けると「何故分かるのですか」と逆質問された。
「関東中央病院は公立学校共済組合ですね」と答えた。
笑って頷いて、「勤務地は大麻村でWEB検索してください」と教えてくれた。プライベートの息子さんは東京で下宿して大学入試を頑張っているようだ。このパスを利用して、函館で遊んでから息子さんを激励に行くのだと思った。
 函館のお薦めに元市営の温泉浴場谷地頭温泉( やちがしら)と贔屓の大門横丁にある南かやべ網元直営店「炉端 大謀(だいぼう)」を紹介した。ユニークな先生で楽しい会話であった。
 11:51 新青森駅で先生と別れた。構内は大混雑で、8.2にはじまる青森ねぶた祭のねぶたが飾ってあった。駅舎を出ると太陽がいっぱいの快晴で津軽海峡の海風が心地よかった。
12:03新青森駅東口からルートバスねぶたん号に乗って10分で津軽海峡フェリーターミナルへ着いた。
インターネットで予約した予約内容確認を窓口に提出して、乗船手続きは一分もかからないで完了した。
乗船券、14:20発に乗船する船名はブルーマーメイドで、30分前に乗船口へお進みくださいと記載されていた。
おとぎ話のような、夢のある船旅を願い、多くの人に船をもっと親しんでもらいたい。お客様にもっと船旅を楽しんでもらいたい。そんな思いから、企業カラーである「ブルー」に加え、童話に登場し世界中で広く愛されているキャラクター、「マーメイド」をネーミングに採用したようだ。
ブルーマーメイドのスペックは以下のとおりである。
●全  長 約144m ●総トン数 8,820トン ●旅客定員数 583名 ●速  力 約20ノット ●積載台数トラック71台または乗用車230台。
               *
 5年前タヒチを愛した画家ポール・ゴーギャンの名を冠した船、”ポール・ゴーギャン”に乗った。
パペーテを出発して、ライアテア島、タハア島、ボラボラ島、モーレア島の島々を巡った。
全ての部屋から海が見え、南太平洋の美しいラグーンや珊瑚礁できた。
乗客定員332名に対して、乗組員数は215名。乗客1.5名に対してクルー1名という比率で、世界最高水準のきめこまやかで心のこもったサービスを提供していた。世界の栄えある客船クルーズのタイトルの数々を受賞していた。チップやアルコール代(特別なお酒を除く)、冷蔵庫のウイスキーやビールなどもクルーズ代金にすべて含まれていた。私が始めて体験した、夢のような豪華客船のクルーズ旅行であった。
居酒屋ブルースが700まで掲載できたら、思い出の旅として、このタヒチのクルーズ客船の旅を書いてみたい。
 ポール・ゴーギャンのスペックいかのとうりであった。
●乗客定員 332人 ●乗組員数 215人 ●総トン数 19,200トン ●全長 156.5m ●全幅 21.6m
●船籍 バハマ ●就航年 1998年 ●改装年 2012年である。
                 *
 乗船まで、2時間あった。こんなに時間があるなら、JRで青森駅に行き、棟方志功記念館を見学すべきだったと後悔した。
タクシーを利用すれば、市場寿司へも行けたと反省した。
 津軽海峡フェリーターミナルの近辺はレストランや食堂は見渡らなかった。
2階の食堂「ハーバーキッチン」しか選べなかった。サバ焼き定食800円を注文した。
 観光客は私を入れて、2組で、ほとんどが運送業のドライバーの二人連れであった。3組が食事し、2組ができるのを待っていた。さすがに酒は飲んでいなかった。
 サバ焼き定食は満足のボリュームで、期待以上のなかなかのお味であった。
食堂にはテレビが設置しており、海側がウッドデッキになっていた。
 ハーバービューを楽しみながら、旅の疲れを癒した。
海は気持ちよく、フェリーの到着を待てた。



[137] 玉ノ井思潮出稿期限延長

投稿者: 北澤編集長 投稿日:2017年 7月30日(日)13時22分17秒 124-140-206-5.rev.home.ne.jp  通報   返信・引用

 塾員各位には玉ノ井思潮の原稿執筆に精力的に取り組んでおられると思います。ただし7月末を期限とした出稿状況は芳しくありません。そこで締切日を8月末まで延長することにしました。原稿は生ものです。期日が経過すると新鮮さが失われます。既に出稿された塾員のためにも、まだ出稿されてない塾員は急いで原稿を纏めて頂くようお願いいたします。



[136] 居酒屋ブルース 585 萬徳寺の釈迦涅槃仏と新松のうな重

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 7月26日(水)16時39分44秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

  国道410号を北上し、萬徳寺の赤い山門の脇にある駐車場に着いた。
山門を入ると竹の杖が十数本用意されていた。プレッシャーがきたがここは頑張るしかない。
鍋谷夫妻とカミさんには先行してもらった。急な山道を登っていくと左側に展望台があった。
見晴らしがいいので平砂浦海岸の海が望めた。その先を右折すると、立木の隙間から涅槃像が見えた。
質素な売店のような受付で三人は待っていてくれた。カミさんが拝観料400円を4人分を払ってくれた。
お坊さんが釈迦涅槃仏について説明してくれた。
涅槃仏とはお釈迦さまの最期の姿(横たわって寝ている姿)を表したものだそうです。
仏教の修業を重ねた尼僧が仏の境地へ達し、衆生済度の発願から22年の歳月を経て昭和57年に建立したようだ。体長16m、高さ3.75m、重さ30tで、青銅の涅槃仏としては世界最大級と言う。
参拝方法は線香を5本取り火をつけて、お釈迦さまの前の線香台に線香を供えて手を合わせる。
台座の最下段から上がり、手を合わせながら時計回りに3周歩く。
台座はらせん状になっているので、3周まわると上段のお釈迦さまの足元に到達する構造になっているらしい。足の裏にある足紋(転法輪)に額を当てて祈願すると願いが叶うとのことであった。
涅槃像の写真は単独では撮ってはダメと話してくれた。。
 伽藍には本堂や拝殿などの建物は一切なく、お釈迦さまのみが横たわっていた。
お釈迦さま荘厳で大迫力であった。
 この日は私達だけで静かでひっそりしていて説明された作法どうりに参拝できた。
釈迦涅槃佛と一緒に記念写真を撮って12:20に下山した。
               *
 かなり体力は消耗したが、朝食をしっかりと食べたせいか、まだ腹は減ってなかった。
うなぎの新松へ13:00で予約をした。
 トスラブ館山のスタッフにプリントしてもらった地図を頼りに、南町交差点直進200m国民生活金融公庫の斜め前の駐車場に着いた。
 料亭のような趣がある佇まいに心惹かれる。
店先では、窓を開け放って、主人がうなぎを焼いていた。香ばしい蒲焼の匂いが食欲を誘う。
 店内で予約した客を確認されて、江戸の香り老舗の味の小冊子をいただいた。
靴を脱ぎ、赤い絨毯の階段を上がって、2階の座敷に案内された。
座敷にテーブルがあり、テーブル間の距離も適切でゆったりとくつろげそうだ。
12年ぶりの再訪であった。当時は座敷に座卓だったので、足の具合が悪い私には椅子は嬉しかった。
荷物を入れるカゴも用意されていた。
 一子相伝の扁額が目立ち、いまどき珍しい木製のガラス窓が 古き日本家屋のいい雰囲気であった。
若い店員が「いらっしゃい」とお茶を出してくれ、注文を聞いてきた。
 洋子さんは小食なのでと遠慮のご様子であった。
まずは鰻重を食べたいところであったが、鍋谷さんに伺う。
夫妻に了承をいただき、中串のうな重イ2700円、ロ3200円をセットで二組注文した。
店員に伺ったところ「焼き上がりまでの待ち時間は20分くらい」であった。
 頂いた小冊子の店主独白によると、新松さんは、現在5代目となる老舗うなぎ店。初代は江戸末期、木更津にて開業された。関東大震災後に、当時有数な保養地のこの館山に移転されて現在に至るとの事。
創業より「美味しいの一言」を求めて、「一子相伝」の教え厳守。五代に渡り受け継がれた秘伝のタレ作りは 代々親から子へと受け継がれ今でも薪釜にて作られております・・・・・と述べてあった。
 注文してから焼き上げるので時間が多少かかるが、待つ時間も鰻好きには気にならない。
むしろ期待感が高まってしまう。
 うな重が供された。洋子さんと私がロを選んだ。私はCKDで蛋白質を制限しているからだ。
お新香と肝吸いはイ、ロも変わらなかった。
 鰻は、串打ち三年、裂き八年、焼き一生と言われ、一人で焼くのは6人前が限度と念を入れた技である。
一匹づけの鰻重は焼き立てで、焼き色とタレの照りがまぶしい。
 鰻の質はの鹿児島産。下処理の感じは、小骨など全く気にならない仕事振りであった。
肉厚でいい感じにのっている脂。臭みも全然ない。蒲焼はホロリと柔らかく、皮目と身の境が感じられない。焼きもしっかりしていて、ふんわりと蒸されて口の中でとろける。
ご飯そして、お吸い物も、お新香も美味かった。鍋谷夫妻も絶賛してくれたのが嬉しかった。
 蒲焼きから流れ出たうなぎの脂がタレの味をより複雑で深みのあるものに育てていく。
上品な甘口の『新松のタレ』を完成させるのは、他ならぬうなぎなのだ。
しかもこの店は長年継ぎたされてきたタレに、初代からの教えを守り今でも薪窯にて特別な醤油を合わせ、時には強火、弱火と釜戸の火を操り数時間掛け進化していた。
タレが絶品の陶然、恍惚なうな重であった。勘定はカミさんが払ってくれた。
 13:50 新松を後にした。



[135] 居酒屋ブルース 584 安房神社と ふれあい野鳥館

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 7月24日(月)18時54分28秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

  国道410号を南下した。案内看板があったので、迷うことはなく、15分で安房神社に着いた。
参道の横にある駐車場に車を止めた。
こちらの鳥居は白い神明鳥居で、東郷元帥揮毫の官幣大社安房神社の石碑が格が高い神社であることを示唆していた。入ってすぐに清々しい空気に包まれた。
鳥居からのびる参道には桜が植えられていて、満開の時の美しさを想像できる。
参道には人影はなく、静寂そのもので野鳥が囀りが心地よかった。
                                          *
房総半島の南端に近いこの場所は、日本列島を龍の形になぞらえると北海道が龍の頭で沖縄や南西諸島が尾の端、そんな中で、安房神社の位置する房総半島はまるで東京湾という龍の玉を持っている「手の爪」と見ることができる。玉を持つ爪の部分。そのため「つかんだ運は離さない」のご利益がある金運神社なのだ。
経営コンサルタントで、経営の神様と言われた船井総合研究所の創業者船井幸雄氏が「お金に困りたくなかったら、ここにお参りするといい」と言ったことに由来してるらしい。
氏が伝えた日本三大金運神社はこの神社と、富士山の二合目に建っている『新屋山神社』、石巻にある『金華山黄金山神社』である。機会あったら参拝したいと思っている。
                                           *
野鳥の囀りを聴きながら、両脇には桜並木が続く、参道をゆっくりと進む。
二の鳥居の参道に沿って大型駐車場があった。本殿まではかなり歩きそうであった。
 鍋谷さんは膝が悪い私のため、その駐車場へ車を移動してくれた。鍋谷さんの気配りに感謝した。
二の鳥居の前には、茅(カヤ)で編ん茅の輪(ちのわ)が設置されていた。これを参詣者が作法にしたがってくぐると、半年間の穢れを払い落とし、残りの半年間の病気や災いを免れるとされている。
通常、茅の輪くぐりは、六月の夏越の祓(なごしのはらえ)に行われる神事であるが、最近では、十二月年越の祓でも行われているようだ。
 境内を奥に進むと社務所のに前に手水舎があり、手や口を漱ぎ清めた。
右に折れると正面に拝殿が見えた。
拝殿の切妻屋根の上にある千木(両端にあるX型)と7本の鰹木(短い丸太)で神社の格の高さが分かると言う。この神社の鰹木には菊の紋があった。やはり格式の一宮(いちのみや)神社であった。
「一宮神社」とは、旧国内で最も社格が高いとされる平安時代~鎌倉時代にかけて成立した神社である。
 中央に拝殿、左奥に本殿。境内の周囲は吾谷山(あづちやま)山麓の森で銀杏、杉、ソテツの巨木があり、静寂と凜とした空間が広がっていた。
 厳しい階段を登って、「下の宮」の拝殿で奉拝した。
下の宮には天太玉命(あめのふとだまのみこと)の孫神である天富命(あめのとみのみこと)が祀られている。
 天富命は神武天皇の命を受け四国の阿波国を開拓した神である。さらに新しい地を求めて忌部氏を引き連れ船で漕ぎ出し、黒潮に乗り房総半島南に上陸。その地で麻や穀物を植えたという。
 上の宮には天太玉命(あめのふとだまのみこと)が主祭神として祀られているが、階段がさらに厳しいので断念した。
 団体の参拝者が集まって境内は賑やかになった。
ご神木の槇(マキ)は樹齢は500年と言われて、生命力に溢れていた。
 カミさんと一緒に社務所で御朱印を頂いた。満足の笑顔であった。
カミさんは神官の千差万別の筆遣いや神社ごとに個性ある印がある御朱印帳を見返して、訪れた時の光景を思い出すのが面白いと言う。
 鍋谷さん夫妻は作法に従って、茅の輪くぐりをしていた。
二の鳥居を過ぎて、神社に隣接した館山野鳥の森公園の駐車場へ戻った。
                *
 公園入り口の「ふれあい野鳥館」に立ち寄ってみた。
女性スタッフに持参した「館山野鳥の森」のパンフレットを見せながら「夏の館山で見られる野鳥の種類」を訊ねた。彼女は「詳しいスタッフがいるので」と専門スタッフを紹介してくれた。
 スタッフはここには22.4 h の緑濃い常緑広葉樹の森があり、特別鳥獣保護区に指定されていると言う。夏にはサシバやホトトギスなどの渡り鳥がこの森で観察でき、1年間を通して見られる野鳥のバードウォッチングもできると説明してくれた。
しかもわざわざ館山野鳥の森で見られる野鳥たちのカラー写真付きの専門資料を3枚もプリントしてくれた。
県立の博物館の学芸員にこのような厚遇を受けたことはなかった。
 感謝を込めて、生産者 家城 勇氏 日本みつばち 150グラムを購入した。
野鳥や植物を自然に近い状態で再現したジオラマ展示コーナーを見学した。
朝風呂でツピィツピィ、キョッキョ、キョキョキョキョの囀りはシジュウカラとホトトギスであることが分かった。
 「ふれあい野鳥館」は胸に刻んだ素晴らしい出会いであった。
 11:20 洲宮にある釈迦涅槃佛で有名な満徳寺へ向かった。



[134] 居酒屋ブルース 583  トスラブ館山 ルアーナの朝食

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 7月18日(火)08時42分20秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

  6.27  7:00 目覚めた。ガラス戸を少し開けて、空気を入れ替えた。
カラッとして爽快な空気が流れる。館山市洲宮の6月末の気候は湿気を感じない。
 テラスに出て、平砂浦海岸の海を観る。晴天のせいか昨日の蒼白の空と違い明るい白群青である。
ぽっかり浮かぶ白いわた雲の雄大さに心を奪われた。
 ウグイスのホーホケキョと囀る鳴き声が聞こえる。メジロであろうか、チーチェルチーチェル、チチルチチルと早口で囀っていた。
木の椅子に座って、一期一会の自然がくれた贅沢な時間を過ごした。
 7:30 鍋谷さんに「風呂にいこう」と電話した。洋子さんからは「風呂は済んだ」の答えであった。
タオル、バスタオルを持って、大浴場へ急いだ。大浴場は毎日男女交互に代わっていた。
温泉効果効能表が貼ってあって温泉の確認が出来た。
大浴場は私一人の貸し切り状態であった。こちらのほうが、露天風呂は私の好みであった。
 景色は海まで遮るものがないので、オーシャンビューの眺めは最高であった。
ウグイスとメジロの囀りを聴きながら朝風呂を楽しんだ。囀りは二羽ではなかった。
ツピィツピィ、キョッキョ、キョキョキョキョの鳴き声も混ざっていた。
野鳥の囀りにも癒され、温泉を満喫できた。
 頭を洗い、髭剃りをして、サッパリし、備え付けの化粧品を使わせてもらった。
フロントの女性スタッフに朝鳴いていた野鳥は何種類かを訊ねた。スタッフは野鳥には詳しくなかったが、「館山野鳥の森」のパンフレットをくれた。
「ふれあい野鳥館があるので、近いので訪ねてください」と教えてくれた。
地図を見ると安房神社の隣にあるので、鍋谷夫妻と相談してみたくなった。
 部屋に戻らず食堂スペースへ直行。昨夜と同じテーブル席が確保されていた。
昨夜地場野菜を教えてくれたスタッフにお礼を言った。
 ほどなく、鍋谷夫妻、カミさんが席に座った。朝食はバイキングであった。
地元の素材を使用しているので、選択によっては美味であろう。
地場の野菜は新鮮なサニーレタス、ブロッコリー、ニンジンで食欲を誘う。
ドレッシングが野菜すりおろしドレッシング、胡麻ドレッシング、ノンオイルドレッシング等6種類もあった。食材に合わせて野菜すりおろしドレッシングを変えて、バリエーションが楽しめた。
地産地消の野菜サラダは素晴らしかった。
焼魚は、アジとサバの干物を選択できるきめ細かいサービスに驚く。
焼き立てのサバを賞味できた。お粥、小鉢のひじき煮、みそ汁は丹色のふのりが美味かった。
高級ホテルの和風朝食の3000円クラスのクオリティーで大満足できた。
 食後、現役の鍋谷さんは部屋に戻り、仕事ムードに入った。私も部屋に戻り小休止した。
カミさんと洋子さんは土産品を物色しに行った。
 今回の旅行のきっかけは、鍋谷さんと顧客のコンサルテーション契約がスッポト契約にしたいと契約変更を事前に顧客の担当者が紹介者の私に伝えてきた。私は月間契約料をダウンしても顧問契約を続行したほうが
貴社のためになると担当者に強力にプレゼントした。担当者も理解してくれ、彼は頑張って、上司を説得してくれた。コンサルタント料はダウンしたが、顧問は続行になった。
 私のお節介に、鍋谷さんが義理を感じての接待旅行の申し出であった。
私はかなり迷ったが、今日の昼食を私が持つ条件で調整でき、この旅行が実現した。
7月の丑の日が近づくので、うなぎの新松か館山一番の茂八寿司を吟味して選んでいた。
 10:00 フロントで鍋谷さんが清算してくれた。私は心から感謝を述べた。
 カミさんはは朝獲れのトウモロコシ一本150円を残り6本を全部購入した。
 今日の予定に安房神社と「館山野鳥の森」、満徳寺の釈迦涅槃佛をお願いした。
鍋谷さんは長柄町にある長期滞在ホテルのスワンレイク長柄を案内することに決まった。
 感激した「トスラブ館山 ルアーナ」を後にした。



[133] 居酒屋ブルース582 トスラブ館山 ルアーナ

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 7月13日(木)12時41分15秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

6.26   13:30  鍋谷夫妻が拙宅に迎えに来てくれた。新車トヨタの6人乗りシエンタの柿色の車体が眩しかった。奥さんの洋子さんも珊瑚色の御召し物が若々しい。
首都高速道路から富津館山道路を利用して、館山市に向かう。新車の快適なドライブであったが、富浦I・Cまで海が見えない高速道路であった。
 127号線を南下すると右手に館山市役所があり、その先が館山湾で、北条桟橋も健在であろう。
館山市は思い出の多い街でこの街を選んでくれたのは感謝である。
               *
 小学校の4年、5年の二年間の夏休みに、避暑地館山に一週間ぐらい滞在した。
従姉が嫁いだ親戚が招待してくれた。
 竹芝桟橋から東海汽船の房総航路で館山港の全長百メートルの北条桟橋への初めての航海であった。
親戚の大学生は帆走ヨット に乗せてくれた。鯛の浦、清澄寺を観光し、シャリが大きい寿司をご馳走してくれた。夢ごこちの夏であった。
 29歳の時、千葉USACの営業部長を兼務しながら千葉県のFACOM営業をして、館山市役所の担当になった。電算室の永井さん、和田さんにお世話になった。
 30歳の夏、お二人の紹介で館山に宿を取り、夜は花火大会を観て、昼間は洲埼灯台近くの波左間海水浴場で長男に赤いふんどしを締めて3日間過ごした。透明で澄んだ海は鮮烈であった。
 和田さんには、1973年の有馬記念でハイセイコーが一番人気で負けて3着になり、優勝馬はストロングエイト、2着はニットウチドリで万馬券になった。
その馬券をビギナーズラックで的中した和田さんは渚通りにあったキャバレー「ナイトアンドデイ」で私に振る舞ってくれた。永井さんは市役所の助役の要職につき、上京の折、何度か食事をした。
この頃私をフォローしてくれたのが、塾員の小林さんで、東金市、銚子市が受注できた。
 61歳パソコン営業部で国分にある「株式会社もちづき」さんを担当し、望月社長には一緒にいちご狩りをしたり、茂八寿司 、うなぎの新松でご馳走になった。
望月社長と関係深い土屋さんは私のウチダ退職パーテイにも来てもらった。
房州館山の人は温厚で人柄が素晴らしい。まさに一期一会であった。
               *
 16:00 館山市洲宮にある「トスラブ館山 ルアーナ」到着。
三日月の曲線を描く個性的なフォルムに圧倒される。
関東ITソフトウェア健康保険組合が運営する保養施設とは思えない近代的高級リゾートホテルであった。
鍋谷さん曰く、2015年12月にオープンしたばかりで人気があって、なかなか予約が難しかったらしい。
 ロビーは全面ぶち抜きのガラス張り窓で開放感あふれていた。
フロントの女性に洲埼灯台の方向を尋ねた。右方向で左側が布良漁港と教えてくれた。
しかも、明日昼食予定のうなぎの新松への地図をプリントしてくれた。
高台に建っているため西側に平砂浦海岸の海が見える。
 蒼白の空に白い雲が流れていた。コーヒーが無料で飲める自販機がある。
コーヒーを飲みながら、オーシャンビューを観る。緑の森も多く、南国らしくフェニックスやソテツもあった。眼下はさざなみ小学校の運動場で生徒がサッカーを楽しんでいた。
鍋谷さんが和室の布団か洋室のベットかを選んでくれと言う。ベットの部屋を選ばせてもらった。
客室は2階で、右奥が私達の二部屋であった。17:20に風呂に行くことを約束して、部屋で小休止した。
 部屋はオーシャンビューで広くて新しくピカピカ。白壁を利用した間接照明が柔らかくて快適。
テラススペースにでることも可能で特注の家具が木工がセンスがあった。
作務衣風の部屋着とバスタオル、アメニティも気が利いていた。
ANA ホリデイ・イン リゾート 宮崎と比べても負けてなかった。
大浴場は大ではなく中ぐらいの広さであった。温泉かどうかは分からないが露天風呂は良かった。
暖かいお風呂と冷たい風が心地よく、日々の疲れが癒された。
 18:05 左翼側の食堂スペースへ直行。ほどなく、鍋谷夫妻、カミさんが席に座った。ビールで乾杯する。青水無月潮騒コースの御献立は以下のとうりである。
 彩り野菜盛り合せ 先付三題
○赤海老バジル風味  ズッキーニ、若布、ラデッシュ
○季節野菜と帆立のゼリー寄せ  アスパラ、ヤングコーン、ニンジン、パブリカ、椎茸
○鮎唐揚 新玉ねぎ、レモン、イタリアンパセリ
 このトスラブの料理長 藤田修は達人であった。館山は魚ばかりでなく、野菜も宝庫であった。
彩り野菜はミニトマト、マイクロトマトの赤、イエローミミは、レモンイエローの実が目に鮮やかな、黄色いトマト。さらにミニトマトの橙色、緑に驚く。
ズッキーニはグリーントスカの細長い形の緑、オーラムの細長い形の黄、ゴールディーの黄色でヘタに近い部分が緑色、アラジンは円盤形の薄緑色であった。ズッキーニも色がいろいろあることを知った。
 外皮と共に中の果肉も赤いタイプの紅くるり、外皮は普通の大根の様に青から白なのに果肉が赤いタイプの青皮紅心、外皮が赤く中身は白いタイプのレディーサラダとダイコンも色鮮やかであった。
 葉柄の断面にレンコンのような小さな穴があることからハスイモも供された。ハスイモはイモの部分は食べられないで、葉柄(ズイキ)を食べた。これらの野菜の彩りが目立つ皿に盛られていた。
これらの野菜名は男性スタッフが私に教えてくれ、勉強になった。
 吸物 清汁仕立 桜海老真丈がでて、 ビールから地酒純米酒岩の井450円にかえる。
造りはスズキ、キンメ、アジで新鮮。凌ぎは あさり飯玉蒸し、 玉蒸しとは魚を塩で締めて、その中におからを詰めて蒸したモノらしい。これに鼈甲餡(出汁を調味して葛粉で作る餡)が付く。
 焼物 福子(一年魚の30センチ前後までをセイゴ(清子)、2~3年魚50~60 センチをフッコ(福子)、それ以上をスズキ)焼。旬であるので、美味い。
 強肴 豚肉黒酢餡掛け ズッキーニ カリフラワー 人参
 酢の物 新水雲(シンモズク) 蛸湯霜 胡瓜 枸杞の実
 食事 新潟産コシヒカリ 香の物 芽株汁
 水菓子 盛り合せ ピーナッツムース
                               以上
 吉兆のような凄い献立で、料理長 藤田修の入魂の料理であった。
保養施設の料理ではなかった。スタッフサービスも素晴らしかった。
この後、20:00 カラオケルームに行く。DAMの精密採点DXを導入していた。
トップ洋子さん85点、2位鍋谷さん82点 カミさん 80点 私は宗右衛門町ブルースでやっと70点を獲得した。
 21:30 部屋に戻った。 素晴らしい時間を共有でき、眠りに入った。



[132] 居酒屋ブルース581 佐藤商事の第94期定期株主総会

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 7月11日(火)10時59分47秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

  6.23  昨日は朝から恐怖におののいていた。
夜中の0:30まで「スナック 琴」で深酒したため、体が異常で動けなかった。しかも頭も痛い。
ついに、CKDが悪化して、腎臓がその役割を果たせなくなったと思った。
私の友人の大野さんが腎不全になったときが、そうゆう状態だったからだ。
腎不全になると食事の内容や水分などを制限が厳しくなる。さらに腎臓の働きが低下すると腎臓の働きを代替する透析に突入し、日常生活に大きな影響を与えることになる。
 CKDは根本的な治療法がなく、食事療法で対応する。
これが難しく、10日間ぐらいは粗食に我慢出来ても、禁を犯して、どうしても美味しいものを食べてしまう。
だから私の場合は、腎臓の機能がゆっくりと果たせなくなり「腎不全」へと進んでいく。
 腎不全だったらどうしよう、透析になったらとわなない(戦慄い)た。
透析療法は腎臓の代わりに、週に2~3回、1回4~5時間かけて、人工的に身体の外に血液を取り出し、血液中の老廃物や余分な水分を取り除いたあと再び体内に戻すという。
透析するため、体から血液を出し入れする出入口(ブラッドアクセス)の手術が必要。
合併症の心配をして一時間以上ベッドで 戦々恐々であった。
 一時間半経過すると、トイレが限界にきた。這って何とかトイレに行けた。
カミさんに事情を話して、錦糸町駅への送迎は無理を伝えた。
水を飲んで2時間半、眠った。またトイレに行き、2時間ぐらい微睡む。
 14:40 少しずつ動けるようになった。
パソコンを開き株のチェックしたが、静観しただけであった。
村田から「明日の総会は来るのだろう」の電話がくる。村田代表取締役会長の定期株主総会は毎年出席しているので、「このところ、体調不安定も必ず出席する」と答えた。
 またベッドに戻り、3時間ぐらい寝た。カミさんがアルバイトから戻り、夕食が出来たという。
頭痛は治ったが、動きは鈍く、食欲はなかった。
 薬を飲まなければならないので、食事がとれないときや消化・吸収力が弱っているときに用いる総合栄養剤エネーボとヨーグルトを食べて、薬を飲んだら。
 早く寝て、定期株主総会出席の体力の回復に努めた。
               *
 深情けで2回起きて、トイレに行ったが、膝下が重く、痛みが残っていた。
膝下の痛みは様々な病気によって生じるらしい。特に脳や腎臓に問題があるとき、起こるという。
至急病院に行って調べてもらわねばならないと判断して、病院の予約をした。
カミさんは本日もアルバイトであったが車での送迎はできなかった。
ケロックと牛乳の簡単な食事で佐藤商事の第94期定期株主総会の会場、鉄鋼会館へタクシー向かう。
 10:00に到着、受付番号は72であった。北沢君、鍋谷さんが先着していた。
定時株主総会は、当期事業年度の 決算報告・承認、事業報告の内容の報告、剰余金の配当、取締役2名選任等が主要な議題であった。
 村田が議長になって、14年目であるが、年々株主参加が増えてきていた。今回は80人近いさんかであろう。村田は今年も見事な議長であった。分かり易い報告と、応答で株主を大切にしているのが理解できる。
 中国、アジア新興国の経済鈍化で売上高は1800億円弱と3.9%減少したが、経常利益は32億円弱で5億円と増えていた。
 いすゞ自動車、日野自動車、りそな銀行等の配当金の増加であろうか。受取配当金収入が339百万円に驚く。
第1号議案剰余金の配当が増額になり一株30円の年間配当になり、株主は大喜びであった。
 経営責任を問う怒号飛び交う東芝やフジテレビと違いシャンシャンで35分で終了した。
懇親会で村田に挨拶し、総会の上首尾を祝った。ライフ営業部門総括、日本洋食器の社長の小野上席執行役員と喋って、チョイスカタログを土産にもらって総会を後にした。
 11:15 鍋谷さん、北沢と別れ、鳥徳へ行く。
 そこには佐藤商事のOB、元専務のKさん、元統括部長のAさん達が食事をしていた。
元気いっぱいのAさんが、「村田会長は一緒でないの」と声をかけてくれた。
 「会長は株主を接待していますよ」と答えた。「9月は村田会長と伊豆高原へ旅行するそうですね」と話をつづけた。ちょっと驚いたが、「そうですよ」と答えて離れたテーブル席に座った。
 私はB弁当1050円を注文すると、スタッフは「ハイボールは飲まないの」と訊ねた。
迷ったがハイボールも注文した。
サービスの食べ放題の白菜の香物を摘みに角ハイボール飲む。体調不安定のせいか、苦くて美味くない。
OBの3人はそれぞれが勘定を払って、別れの挨拶して、店を出ていった。
 B弁当も供された。鶏肉の鮮度は折り紙つきの焼き鳥3種類(もつ、つくね、ひな)とチキンカツ、だし巻き卵焼がおかずで、炊きたてご飯が2段重になっている。
 二段目にはご飯がぎっしり詰まっていて、熱々で米が立って食欲を誘う。
まずはその御飯を咀嚼しながら、ハイボールを飲む。ご飯の美味さは感じた。
酒は半分以上残したが、昨日と今朝は満足の食事をしてないので、弁当はほぼ完食した。
美味いご飯で少し元気になったようだ。
 茅場町で都バスに乗り、錦糸町駅からタクシーで自宅に戻った。


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