玉ノ井塾暫定掲示板



カテゴリ:[ ビジネスと社会/経済 ]


118件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[119] 居酒屋ブルース569 ANAホリデイ・インリゾート宮崎

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 5月24日(水)11時23分11秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

  私が宮崎県へ初めて、訪れたのは大学一年生が終わった春休みの1962.3.16であった。
一年上の先輩の小島さんに誘われて、九州旅行をした時であった。
九州周遊乗車券を交通公社新宿支店で購入した。発行日3.9で3.12から通用で3.31まで有効期間。定価が6200円とで記載されていた。むろん学割を使うので購入価格は3割引きぐらいであろう。
 小島さんはワンゲルのリーダーで旅マニアであった。国鉄時代のローカル線を  全線制覇に燃えていた。
「九州出身の寮生で泊めてくれる寮仲間を探してこい」と頼まれた。唐津市の辻本君、枕崎市の森君、高鍋町の落合君が了解してくれた。この落合君に三日間お世話になった。
そして、ここを拠点として、高千穂線(延岡駅から高千穂駅)、日南線(宮崎市の南宮崎駅から志布志市の志布志駅)、吉都線(鹿児島県の吉松駅から都城市の都城駅)を乗り潰した。私は日本の片隅に取り残されたようなローカル線に乗り、車窓風景を眺めていただけだった。乗車時間はかかるし、疲れたが、小島さんは周到な準備をして計画していたのは分かった。小島さんのおかげで旅が好きになって、二か月と村田東北を旅するきっかけになった。
 落合君の父上は高鍋町の教育委員長であった。高鍋藩は藩校『明倫館』を設立し、藩士教育に熱心だったことから『教育の藩』としても知られて、米沢藩(上杉氏)に入り、名君で有名な上杉鷹山を輩出したと教えてくれた。
 二回目は40代の前半、USACの代理店会議でシーガイヤ(サンホテルフェニックス)へ泊った。
高千穂の夜神楽でディラーを接待した。「古事記」や「日本書紀」による天照大神の孫、ニニギノミコトが高天原より地上に下った天孫降臨の神話を知った。
 三回目は阪急の九州縦断ツアーで60代前半カミさんと高千穂峡と高千穂神社へ行った。
               *
 4.20 ツウペア旅行は宮崎県になった。
この一週間風邪治らなかった。しかも帯状疱疹後神経痛が再発して、舌の右三分の一に激痛が発生した。
バッファリンでは鎮痛できなかった。
旅行中辛いと思い、医院へ行った。寺田医師から禁断薬リン酸コデインの投与を思ったが、我慢してより強力な痛み止めトラムセット配合錠と風邪治療のため抗生物質のアモキシシリンカプセルを処方してもらった。 10:40 村田が日本交通のハイヤーで迎えに来てくれた。村田邸で美枝子さんを乗せて、羽田空港第一ターミナルビルに11:50に到着した。飛行機待ちの腹ごしらえをビルの5階「あずみ野」に行く。12過ぎの入店時で7入待ち状態であった。カミさんにざるそばを頼みトイレに行った。数分間で戻ると、回転率がいいようで3人はテーブル席に座っていた。店内は以外に広く、カウンター席もあって、50名ぐらいに客が入っていた。
しっかりとした麺のコシ、蕎麦の香りも十分感じられた。つゆは、出汁の効いた辛口の江戸風で私好みであった。空港ということで、少々、高めの料金設定であった。
 保安検査場は無事通過出来た。ここからが搭乗口58へは遠い。
移動車を運転していた案内アテンダントが私のところに来て、「車の援助は必要ありませんか」と手を差し伸べてくれた。疲れてヨタヨタと歩く格好に、心配してくれたらしい。
「歩行が困難な乗客には、安全かつ安楽に目的のGATEへ移送してくれる」と言う。
遠慮しないで乗せてもらい三人と58GATEで合流した。
ANA609便は定刻13:15に出発し、宮﨑空港に15:00に到着した。宮崎市は曇天の雨模様であった。
 タクシーで国道220号線のワシントニアパーム(ヤシの木の一種)の並木道路を南下する。
巨人がキャンプした宮崎球場見えて15:20子供の国にあるANAホリデイ・インリゾート宮崎に着く。
ラウンジロビーは広く日向灘と水平線の左右に湾曲して広がる海岸線が美しい。
本日の夕食を予約し、明日のレンタカーの手配をした。
 6階のデラックスツインは青島の雄大な海が一望できるオーシャンビューであった。
部屋は広く綺麗で眺めも期待以上であった。部屋着の作務衣が、着心地がよく、そのままでホテル内を自由行動が出来た。村田と一緒に3階の温泉へ行く。日向灘を望む展望浴場あった。
泉質はナトリウム - 炭酸水素塩・塩化物泉美肌の湯、入浴すると肌がヌルヌルした。うたせ湯が気持ち良く癒された。露天風呂は解放感あふれ、日向灘の海風が心地よくリラックスできた。
舌の痛みも少し緩和されてきた感じであった。
 18:00和食処 旬魚 日向雫(ひむかしずく)へ行く。個室は掘りごたつであった。
ツウペアは氷点下のエクストラコールド(800円)で乾杯。
先付 ヒラマサ、カマス、ニベのカルパッチョ。オオニベは、日本でも日向灘周辺海域でしか獲れない、まさに宮崎県を代表するスズキに似た魚だ。
造里はマグロ、サワラ、ブリ、タイ、赤エビであった。クロマグロの幼魚のメジが上品な脂で美味い。
美枝子さんがサザエの壺焼をオプションでリクエストしてくれおごってくれた。絶品であった。
ブラックニッカのハイボール(670円)に変えた。椀物はタコを小豆と一緒に煮ることにより、小豆のアントシアン系の赤色が、タコのタンパク質と結合して綺麗な桜色になる桜煮。
焼物はタチウオの鶯焼と宮崎牛のステーキの二品と豊富。宮崎牛は硬くて、期待外れで一切れだけ摘んだ。
強肴は稚鯛の天ぷらで佳肴であった。酢物は初鰹焼切りが供された。「焼切り」と「たたき」は別物である。「焼っきり」は皮の面だけさっと炙るので生の部分が多い。また,焼いた後に氷水でしめる「たたき」と違い,「焼っきり」はそのまま食べる。新鮮で美味かった。御飯は十六穀米に香物とみそ汁で〆た。
この和食処の藤井マネジャーがサービス満点で素晴らしい宴席であった。




[118] 居酒屋ブルース568  玉ノ井塾17年度活動方針、体制と人事

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 5月16日(火)14時08分13秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

4月度 例会案内と役員及び編集委員の集合時間を4.10に塾員にメールした。

?4.19(水)東陽町産業会館で次のスケジュールを開催します。
準備の都合上、必ず出欠の返事を今週4.14(金)までにメールを野村まで返送ください。
役員及び編集委員の集合時間  17:45~18:5
昭和史研究会 18:07~18:50  講演者 野村 昭和の日本酒
例会 18:55~19:50
なお新年度の塾費12000円(4月~来年の3月)を徴収させていただきますので、ご準備ください?・・・・が内容であった。

 メールの反応は弱かった。
事前に鈴木、松本、鍋谷塾員からは欠席の申し出があった。小倉塾員は入院中、阿久津塾員も仕事と総会開催は危ぶまれた。
 私は開催のため、塾員へ出席のための電話をした。
昭和史研究会の参加人数の確定に松本先生、鍋谷さんとメールのやりとりをした。
こちらも反応は鈍く、心配の日々であった。
               *
  桜が散った4.19に恒例の総会が開催された。
8名の塾員の出席でした。福田、高木(新)、高木(繁)、白崎、北沢、山本、小林、(敬称略)。
昭和史研究会は高木(繁)、北沢、小林、野村の4名であった。継続することが大切なので私が講演した。
風邪と帯状疱疹後神経痛で口調が不明瞭なので塾員の皆さん読んでもらった。
日本酒の講演は35分で終わり、総会を開催した。司会は私が兼任した。
 とりあえず、塾員の皆さんの意見を聞いてみることにした。
高木(繁)さんから「玉ノ井塾を人に説明しずらい、それと玉ノ井思潮の発刊必要に疑問」の意見がでた。
驚きの意見であったが、山本さん、高木(新)さんの発刊の必要性の話で納得しないまでも黙った。
これ以上は書かぬが花であろう。
 総会は先期の総括、小倉さんの入院による監査の遅れを報告した。体制人事が以下のように決まった。
               *

2017年度活動・運営方針
塾長 野村武司 の2016の総括
 塾再出発から25年を迎えます。塾員の構成も相当高齢化し、それに伴う様々な理由で活動に参加できない方も出てきました。
塾活動も縮小気味で沈滞する中、今後の存続を危ぶむ塾員の声も出てきました。
私自身もCKDの病を得て、これまでのようなフル活動はままならなくなっています。
しかし、依然として玉ノ井塾はお互いが高め合うための場であるばかりでなく、精神衛生の面からいって心地よい場です。高齢化が進む中、なお生き方を学ぶ場であることに変わりはありません。
70代になると、別れは多く、出会いは少なくなります。
月一回塾の仲間たちに会えることは素晴らしいことと思っています。
 2016年度は1.玉ノ井思潮19号が発刊できました。
2.塾運営の経営も慢性赤字から脱却できつつありますが、会計委員長が急病になり正確な数字は監査後6月度までに報告できる予定になってしまいました。
塾員のほとんどが、あたりまいですが塾費納入していただいたこと思潮の応分の購入のお蔭です。
3.松島先生の天国への旅立ちは痛恨の極みでした。
4.小林(正)塾員の入塾と退塾は3月に宙の会の会長の小林さんが退塾しました。
5.阿久津塾員の塾活動の減速、小倉塾員の長期入院による監査の停滞・・・・が総括されました。
2017年度は塾員は福田、高木(新)、松本、小倉、山本、白崎、鈴木、北沢、鍋谷、村田、高木(繁)、小林、岡崎、阿久津、休塾宮地(敬称略)です。
総会では、塾廃塾、例会の中止、思潮の発刊、イベント、役員の交代等色々と 議論しました。
塾費の納入、例会等出欠の返事、思潮への発刊を条件に新体制で塾活性に邁進します。
塾員の皆さんの積極的協力をお願いします。先期に継続して、『例会』と『玉ノ井思潮』の発刊を主軸に活動をして参ります。そして塾員の年齢や体力にあった催しも企画します。
緑陰講座、西ポッチ会も活性します。
 今後、各塾員は塾の一員として心地よい汗をかき、好奇心を持ち続け、互いに高めあうことが、今後の人生の大きな糧になると信じています。
 これからの一年間、引き続き塾長を務めさせていただきます。体が多少不自由になっていますが、特に悲壮感はありません。
私自身大いに生きがいを感じながら、塾の活性化にさらに誠心誠意努力する所存ですと述べた。

予算・会計
各塾員の協力でアグレッシブ会計を継続します。 (塾費納金、玉ノ井思潮の購入に協力ください))

塾員の構成
塾員の高齢化に伴い、さらに塾員の入会に努めます。

編集委員会
『玉ノ井思潮』を「下町の総合文化誌」を掲げ発刊します。予算の圧縮を図り、コストの軽減に努めます。
このため編集委員会をより充実させます。
編集長(役員)に北澤塾員を昇格し白崎副編集長の2名の正副編集長体制で強化。

企画委員会
昨年度同様(七福神巡り等)、山本企画委員長は様々な企画を実施します。私は青春18きっぷを使用した1泊2日の離島めぐりを計画したいと思います。

昭和史研究会
松本、高木(繁)、鍋谷、北沢塾員担当でオープン化を推進し、玉ノ井塾へ 入会実績を達成する。

緑陰講座
松本邸の別荘を緑陰講座と西ポッチ会の拠点として位置付け、様々な充実したかつ新鮮な活動を展開します。

西ポッチ会
活動のさらなる充実に努めます。体力に応じたいくつかのコースを設定、無理のない、ゆったりとした計画を立てます。
西ポッチ会鈴木会長は今期は天城山を計画します。

新ホームページの作成
石部さんの作成したホームページのアルバムと資料箱は石部さんの要望で2016.3.31で閉鎖になっています。
2017.4.30を目標に新ホームページを作成(阿久津塾員担当)して情報共有、交流の場として、塾活性の予定でした。作成予算2万円の了承されているので再挑戦する。すべての塾員に積極的な投稿を呼びかけます。

2017 玉ノ井塾新体制
○野村塾長 総括
事務局
○福田副塾長 運営
○ 例会連絡:塾長、編集会議:鈴木、 昭和史研究会:松本 、西ポッチ会:鈴木、企画イベント:山本
(敬称略)。

松本邸での緑陰講座
○松本塾員、山本塾員、鍋谷塾員、野村塾員

予算会計
○松本塾員 鈴木塾員(玉ノ井思潮担当)会計管理
○小倉塾員 会費徴収・会計報告
(6月まで、野村が新年度塾費12000円4.19日現在、小林、鈴木、北沢、白崎、山本、村田、野村は入金済みです)。
ホームページ
○阿久津塾員、鈴木塾員、岡崎塾員担当
総務
○福田塾員、村田塾員
編集委員会
○北沢編集長(役員)、白崎副編集長、鈴木塾員、小林塾員、阿久津塾員、野村塾員、
  企画委員会
○山本委員長、高木(新)塾員、鍋谷塾員、北澤塾員、阿久津塾員、

  昭和史研究会
○松本、北沢、鍋谷、高木(繁)塾員担当
西ポッチ会
○鈴木会長、野村塾員、山本塾員、鍋谷塾員

会計監査 ○松本塾員

以上の体制で、記念20号の玉ノ井思潮発刊、例会、分科会、企画イベントを充実して、塾活性に邁進してまいります。
               *

二次会は20:15男鹿半島の二次会の出席は福田、高木(新)、高木(繁)、白崎、北沢、山本、小林、(敬称略)、小生と7名であった。 「乾杯は塾長だ」の声援で、私の発声で宴はスタートした。
定番の田舎煮が出て、旬なまのノレソレ供された。私の初物である。わさびじょうゆで食べる。
鮮度の良さに左右されるが美味かった。
刺盛りはスッコランドの黒マグロ、新鮮なカンパチ、水ダコ、ツブ貝に珍しくトリガイが供された。
頬のマグロが絶品であった。焼魚サメガレイであった。
穴子と海老の天麩羅も供された。本日の祝い酒は赤ワインとジョニ黒であった。〆はあんこう鍋であった。
 山菜料理のばっけ味噌は全員の土産になった。恒例の塾負担金で6000円の領収書をもらった。
 福田、高木(新)、高木(繁)と私の相乗りタクシーで帰った。



[117] 居酒屋ブルース567 上野の桜と龜屋一睡亭

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 5月15日(月)11時04分33秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

  4.6 上野公園に花見に行った。
鍋谷さんが上野にある新しい会社へ移った。「花見の後で、会社案内したい」のお誘いであった。
12:45 西郷さんの銅像で待ち合わせた。今日の天気は晴天。絶好の観桜日である。
3.26に開花宣言したが、寒さが戻ったため開花が遅れていた。
この3日間続いた暖かさで開花が進んで満開に近づきつつあった。
 約400年前に、寛永寺を創建した天海僧正が吉野山から桜を移植させ、以来、江戸一番の桜の名所として今日に及んでいた。ここは、「花の雲 鐘は上野か 浅草か」の芭蕉の句に詠われるほど日本人にとっては馴染みのお花見スポットである。
 上野公園一帯には約1200本の桜があり、桜を目当てに多くのお花見客でいっぱいであった。
約束した時間前なので、桜並木を歩いた。
 場所取りが宴席を確保していた。「ふらっとお花見処」は満席状態であった。
植木にネットがかけられ、立ち入り禁止のフェンスが多くなっていた。
また看板も立てられ「お花見ルール」を掲示してい。上野公園お花見5つのルール「さくらさく」であった。
「さ」:さくらをみんなで大切にしよう
「く」:くつろぐ中にも礼儀あり
「ら」:らいえんしたら、火気厳禁
「さ」:さいごには後片付けとゴミ持ち帰り
「く」:くらくなる 夜8時には宴会終了
ルールを守って楽しくお花見しましょう。これがルールであった。
「うえの桜まつり」は3.18にスタートして、4.9に終了する長い期間の祭りと知った。
開花宣言前、さくらは蕾だけの状態であった。情けない光景で、当事者はさぞ気お揉んでいたと推測できる。
 携帯で連絡し、鍋谷さんに会えた。場所取りで宴席を確保している方に了承してもらいシートに座った。
私がテルモスのサーモスにいれて持参した焼酎は「風譚」である。
そのお湯割りを「美味いねえ」と鍋谷さんは大喜びで飲んでくれた。
『風憚』は夢の芋と呼ばれている栗黄金と伝統の黒麹で造った本格芋焼酎です。
栽培が難しい上に、醸造も難しいこの芋は、えもいえぬ味わいを醸し出します。まさに夢の芋。
まろやかで気品のある、華やかな香味に含まれる至福のひとときをどうぞ。
上品な芋の香り、味わいはとろりとした芋の甘味が印象的です。これはWEBで検索した蔵元コメントである。
 今日の風譚は数量限定244/800 芋麹仕込みの超ブランドである。
芋の旨みがそのまま蒸留されたような凝縮感とコク。
後半の余韻が長く続くあたりにこの焼酎のクオリティの高さを感じた。
 鍋谷さん夫婦は来月お嬢さんが住むアメリカに行く話をしてくれた。
楽しそうに話してくれたが、異国で生活するお嬢さんを心配する心情を察した。
阿久津君の話になった。
松戸にあった彼の拠点からよりビジネスチャンスが広がると思い池袋を紹介したそうだ。
 私も2.1の昭和史研究会以来会ってないので、連絡をとってみると話した。
風が吹いて、桜の花びらがサーモスのカップに浮いた。淡い桜花の色に染まった。
  13:20 不忍池へ下った。ここも花見客で賑わっていた。
広小路の傍にある「うなぎ料理 亀屋一睡亭」へ入った。上品で雰囲気の良い店内であった。
鍋谷さんはビールの中瓶を注文してくれた。何となく鍋谷さんが奢ってくれるような感じであった。
鰻丼2600円を希望した。だが鰻重の高いほうを頼んでくれた。
「串打ち3年、裂き8年、焼きは一生」との言葉の通り、うなぎは難しい料理である。
静岡県大井川町の伏流水で育てられた鰻『霜降りうなぎ』を使用していた。
『霜降りうなぎ』とは幻の幻のブランド鰻といわれる『共水うなぎ』の別名であろう。お米は、北魚沼産の特別栽培米コシヒカリ。独特の粘り気と甘味あっって美味かった。タレも私の好みであった。
大当たりの店であった。割り勘を主張したが勘定は鍋谷さんが払ってくれた。
 この『龜屋一睡亭』さんは、江戸時代から続く最中の皮を造る和菓子屋で、1950年にうなぎ料理店に転業し、現在で10代目という老舗であった。
食後にこの店に近くにある鍋谷さんが移った「新会社」を見学して別れた。
私はメトロで東陽町へ行った。タクシーで緑道公園の桜を見物した。
花見客は誰もいないで、ゆっくり観桜で来た。
 鍋谷さんのおかげで、実に楽しい一日であった。



[116] 居酒屋ブルース566 寿々代の立林智栄子さんの告別式

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 5月10日(水)16時35分5秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

  3.31 寿々代の清水さんの姉さんの告別式に行く。葬儀式場は亀戸天神町会会館であった。
桜の開花宣言があった3.26に寿々代の清水さんから
「姉が天国へ、旅立ちました。お兄ちゃんと姉さんは昔からの友達なので、ぜひお焼香をしてやてください」と訃報連絡が入った。
昨夜に続いて、11:15にご焼香をした。
喪主の幸子女将はよく来てくれたと目礼で返してくれた。都鳥の若旦那も会葬にきていた。
 故人と最期のお別れ時間がきて、「別れ花」の儀式になった。
棺の蓋を開け、供花を短く切り取り、一人一輪づつ棺に入れながらお別れを告げていた。
 私も白い花を顔の周りに、置かせてもらった。美しく、穏やかなお顔であった。
出棺になった。都鳥の若旦那も棺を運んで霊柩車に乗せていた。
 佐藤葬儀委員長が別れの挨拶した。
亀戸天神裏に三業地が許可されたのが明治38年のことで、昭和5年頃には芸妓屋89軒、芸妓236名、
料亭11軒、幇間4名、待合79軒を数えたそうだ。
戦後も花柳界は長らく存在するも、三業組合は平成9年に解散をした。
その花柳界を立派に支え、町会にも貢献した人と故人を称えた。
そして会葬者に謝辞を述べた。喪主の幸子女将は深々と頭を下げてお別れの挨拶した。
霊柩車の扉は閉じられ、長いクラクションとともに火葬場へ向けて出発した。
私は会葬者と一緒に合掌して見送った。心に残る印象深い葬儀であった。
 幸子女将は姉のため、姉の供養のため、心血を注いだのであろう。見事な差配であった。
返礼品も一流ホテルの抹茶のスポンジケーキも気が利いていた。
 昨夜会葬御礼をみて、清水さんの姉さんの名前が立林 智栄子さんであることを知った。
親戚の供花から三島生まれが分かった。
                *
 58年前、智栄子さんは亀戸のトップクラスの芸者さんであった。彼女は私の家の客と恋仲になった。
その客は私を可愛がって、当時胃痛で悩んでいた私に新薬キャベジンを土産に持って来てくれた、40代のナイスガイであった。
 恋は一目で火花を散らし、やがて真っ赤に燃え上がっていったのだろう。
相思相愛でも燃え尽きるときがきた。
その客は中小企業の社長であったが、錦糸町でクラブも経営していた。
智栄子さんが電話をしても、出てくれなくなった。
そのクラブへ行って、その客を店の外呼び出してくれと彼女にお願いされた。
迷ったが、真剣な頼みなので、そのクラブへ行った。
 その客は「彼女とは別れたので逢いたくない」と言った。
「こういう頼み事はやってはいけないよ」と注意された。
 私はそのことを、彼女に伝えると、彼女は泣き出した。このケースは未経験で慰めようがなかった。
雨がしとしとと降って、相合い傘で錦糸公園を歩いた。
彼女は泣き続けていた。映画のワンシーンのようであった。彼女との鮮烈の思い出である。
               *
 この日、JEXERで30分水中ウォーキングした。その後に日立の工場のあった亀戸中央公園へ行った。
桜は広場の東側は七分で西側五分咲きであった。
桜に囲まれ、4組がシートを敷いて、宴会をしていた。花見客が少ないので今年初めての桜を観賞できた。
久しぶりに、スナック千鶴に行く。一升瓶でキープした芋焼酎三岳はまだ残っていた。
飲みながら、香取神社の敬神会で智栄子さんと一緒にいったバス旅行等で偲んだ。
客は来なかったので、ママに生ビールを3杯おごった。
 喉の調子は良くなかったが、カラオケも歌った。
美空ひばりの車やさんを聴くとあのシーンを思い出す。それ以来車屋さんのお手伝いはやったことない。
    作詞:米山正夫
 ちょいとお待ちよ 車屋さん
 お前見込んで
 たのみがござんす この手紙
 内緒で渡して 内緒で返事が
 内緒で来るように
 出来ゃせんかいな

               合掌



[115] Re: 居酒屋ブルース565 寿々代の清水さんの姉さんのお通夜

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 5月10日(水)08時43分46秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

>  3.30 寿々代の清水さんの姉さんのお通夜に行く。葬儀式場は昔見番だった亀戸天神町会会館であった。
> 18:10に受付デスクで、芳名カードに記帳した。
> 受付の係に、ふくさから香典袋を取り出し、お悔やみの言葉を添えて両手で差し出した。
> 会計業務の責任者は親戚の勝則さんであった。
> 30人ぐらい通夜の法要の列に並んだ。読経の途中から、遺族・親族、葬儀委員長が順次ご焼香していた。
> 私の番になった。白木祭壇は会館の玄関の左奥にあった。供花が目いっぱいに飾られていた。その壇前の右側に座っていた喪主の清水さん、親戚、葬儀委員長の佐藤町会長の順に一礼後、遺影に一礼した。
>  焼香が終わって、「通夜振る舞い」の会館の二階に案内された。ビールでお清めした。
> 食通の清水さんが吟味した料理であった。
> 極上の寿司桶、刺身盛、天麩羅、オードブル盛り合わせと美味かった。
>  寿々代は昔は仕出しであったが、清水さんが女将になって、女将の手料理になった。
> 野菜の煮物、お浸しの小鉢。刺身の魚の目利き。その刺身の盛り付けのあしらいの大根の白髪のけん。
> つまの芽葱、紫芽 花穂、浜防風(ハマボウフウ)の色どり。お椀の出汁。魚の焼き方等まさに板前である。
> 睦会の役員の佐久間さんが隣に座った。
> 寿々代が料亭の時、祭後の鉢洗いで仏さんと一緒に楽しんだ思い出話で偲んだ。
>  20分ぐらいで席を立った。会葬御礼の礼状と返礼品を頂いた。
> 亀戸から引っ越した杉本さんに会えた。
> お手伝いの町会の加藤さんに挨拶して、家に戻った。
>                                           *
> 「寿々代」の置屋見学は一昨年2.17に松島先生から「このような粋な宴を企画されて楽しまれているのを知り羨ましく思いました。またの企画時にはご一報賜りたく思います」と希望されたので松本先生と私で企画したイベントであった。当然面白い趣向を頼まれてたのでと、その旨を女将に伝えていた。
>  私は松島先生のため、佐藤商事より1100円程度で購入した「チリワイン Cono Sur」を3本持参した。
>   これは1990年代後半、ロンドンのワイン店とスーパーマーケットの棚を席巻した赤ワインがあった。
>  安さで買った人々は、飲んでみて驚いた。値段からは想像もつかない、熟した果実味と新鮮な香りで、2001年にはイギリス市場で最も売れたチリワインになった。
>   松島先生はこのワインをよく知っていて喜んでくれた。
> 松本先生の差配で、カウンターの席の並びが決まった。
> 左側から、松島、松本、鍋谷、北沢、圷、木村、小倉、小生であった。(敬称略)
> 磨き上げた着物美人の女将とその姉の音頭で乾杯した。その姉は新調の着物で接待してくれた。
>  圷先生と寿々代の女将とは相性がよく、花模様のねんねこ半纏を着せた。よく似合っていた。
>  この店は品がよく中々凝った造りで、渋い調度品等粋な工夫が随所にあって心地よくほぐしてくれる。
>   松島先生、松本先生、圷先生も  ひと味違う花街ならではの風情が好きなようだ。
>  小さい薦被りの賀酒を 「どうぞ」と傾けた白磁の飲みやすい猪口へ酒を注ぎ、口に運ぶ。
>  緊張が解け、別世界へのスタートである。
>   圷先生もぽっと桜色に変わる。可愛い顔になって魅力を増していった。
>  会席は昆布巻きカマボコ、ほうれん草のお浸しと空豆、野菜の煮物、塩辛、タラの白子が飲み手のペースを計りながら供される。
>   姉さんが「私にも一杯ちょうだい」と気さくに催促される。
> 座が和んで、女将もビールを飲み、座に花が咲く。
>  女将は半玉、芸者から人気があり、私が学生の頃から憧れ、胸キュンであった。
> その人柄、美形、芸の美味さ、気風を老舗料亭の女将に見そめられ養女になり、後継女将になった亀戸花柳界の伝説人でる。
>  色香漂い、圷先生も虜にする怖いような、凄い魅力をもっている。
>  お造りは新鮮な中トロ、赤貝、鯛、コバシラで酒が進む。
>  今日も貸切である。貸切の外から見せないカーテンを下ろすと、ここは別世界の舞台になる。
>  女将が鼓を打つ。その質の高い芸を静かに聞惚れた。
>   今回はカセットで「長唄 鶴亀」のコラボである。拍手喝采で座が盛り上がっていく。
>  女将は小鼓を持ってきて、圷先生とのお稽古になった。
>  圷先生は熱心に女将の個別指導を受けていた。
> 女将は残る何人も「自分もやろっか」な感じに客を乗せて行く。
>  着物姿が粋な小倉さんが挑戦していった。一斉に拍手が沸いていた。
> 品よく、面白く、色っぽくお座敷遊びに没頭させていった。
>                *
> 松島先生が亡くなり、女将の姉さんも天国へ旅立った。木村先生と圷先生は玉ノ井塾を辞めた。
> 元気だった小倉は長期の入院中である。私もCKDで透析の崖っぷちだ。
> 「年頃の身につまさるる秋の風、実(げ)に思えば、一睡の夢の間なれや花の顔」と悲しい歌を口ずさんだ。
> 「夢の間なれや」の気分で風譚のお湯割りで故人を偲んだ。



[114] 居酒屋ブルース565 寿々代の清水さんの姉さんのお通夜

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 5月10日(水)08時07分1秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

3.29 寿々代の清水さんの姉さんのお通夜に行く。葬儀式場は昔見番だった亀戸天神町会会館であった。
18:10に受付デスクで、芳名カードに記帳した。
受付の係に、ふくさから香典袋を取り出し、お悔やみの言葉を添えて両手で差し出した。
会計業務の責任者は親戚の勝則さんであった。
30人ぐらい通夜の法要の列に並んだ。読経の途中から、遺族・親族、葬儀委員長が順次ご焼香していた。
私の番になった。白木祭壇は会館の玄関の左奥にあった。供花が目いっぱいに飾られていた。その壇前の右側に座っていた喪主の清水さん、親戚、葬儀委員長の佐藤町会長の順に一礼後、遺影に一礼した。
焼香が終わって、「通夜振る舞い」の会館の二階に案内された。ビールでお清めした。
食通の清水さんが吟味した料理であった。
極上の寿司桶、刺身盛、天麩羅、オードブル盛り合わせと美味かった。
寿々代は昔は仕出しであったが、清水さんが女将になって、女将の手料理になった。
野菜の煮物、お浸しの小鉢。刺身の魚の目利き。その刺身の盛り付けのあしらいの大根の白髪のけん。
つまの芽葱、紫芽 花穂、浜防風(ハマボウフウ)の色どり。お椀の出汁。魚の焼き方等まさに板前である。
睦会の役員の佐久間さんが隣に座った。
寿々代が料亭の時、祭後の鉢洗いで仏さんと一緒に楽しんだ思い出話で偲んだ。
20分ぐらいで席を立った。会葬御礼の礼状と返礼品を頂いた。
亀戸から引っ越した杉本さんに会えた。
お手伝いの町会の加藤さんに挨拶して、家に戻った。
                                          *
「寿々代」の置屋見学は一昨年2.17に松島先生から「このような粋な宴を企画されて楽しまれているのを知り羨ましく思いました。またの企画時にはご一報賜りたく思います」と希望されたので松本先生と私で企画したイベントであった。当然面白い趣向を頼まれてたのでと、その旨を女将に伝えていた。
 私は松島先生のため、佐藤商事より1100円程度で購入した「チリワイン Cono Sur」を3本持参した。
  これは1990年代後半、ロンドンのワイン店とスーパーマーケットの棚を席巻した赤ワインがあった。
 安さで買った人々は、飲んでみて驚いた。値段からは想像もつかない、熟した果実味と新鮮な香りで、2001年にはイギリス市場で最も売れたチリワインになった。
  松島先生はこのワインをよく知っていて喜んでくれた。
松本先生の差配で、カウンターの席の並びが決まった。
左側から、松島、松本、鍋谷、北沢、圷、木村、小倉、小生であった。(敬称略)
磨き上げた着物美人の女将とその姉の音頭で乾杯した。その姉は新調の着物で接待してくれた。
 圷先生と寿々代の女将とは相性がよく、花模様のねんねこ半纏を着せた。よく似合っていた。
 この店は品がよく中々凝った造りで、渋い調度品等粋な工夫が随所にあって心地よくほぐしてくれる。
  松島先生、松本先生、圷先生も  ひと味違う花街ならではの風情が好きなようだ。
 小さい薦被りの賀酒を 「どうぞ」と傾けた白磁の飲みやすい猪口へ酒を注ぎ、口に運ぶ。
緊張が解け、別世界へのスタートである。
  圷先生もぽっと桜色に変わる。可愛い顔になって魅力を増していった。
 会席は昆布巻きカマボコ、ほうれん草のお浸しと空豆、野菜の煮物、塩辛、タラの白子が飲み手のペースを計りながら供される。
  姉さんが「私にも一杯ちょうだい」と気さくに催促される。
座が和んで、女将もビールを飲み、座に花が咲く。
 女将は半玉、芸者から人気があり、私が学生の頃から憧れ、胸キュンであった。
その人柄、美形、芸の美味さ、気風を老舗料亭の女将に見そめられ養女になり、後継女将になった亀戸花柳界の伝説人でる。
 色香漂い、圷先生も虜にする怖いような、凄い魅力をもっている。
 お造りは新鮮な中トロ、赤貝、鯛、コバシラで酒が進む。
 今日も貸切である。貸切の外から見せないカーテンを下ろすと、ここは別世界の舞台になる。
 女将が鼓を打つ。その質の高い芸を静かに聞惚れた。
  今回はカセットで「長唄 鶴亀」のコラボである。拍手喝采で座が盛り上がっていく。
 女将は小鼓を持ってきて、圷先生とのお稽古になった。
 圷先生は熱心に女将の個別指導を受けていた。
女将は残る何人も「自分もやろっか」な感じに客を乗せて行く。
 着物姿が粋な小倉さんが挑戦していった。一斉に拍手が沸いていた。
品よく、面白く、色っぽくお座敷遊びに没頭させていった。
               *
松島先生が亡くなり、女将の姉さんも天国へ旅立った。木村先生と圷先生は玉ノ井塾を辞めた。
元気だった小倉は長期の入院中である。私もCKDで透析の崖っぷちだ。
「年頃の身につまさるる秋の風、実(げ)に思えば、一睡の夢の間なれや花の顔」と悲しい歌を口ずさんだ。
「夢の間なれや」の気分で風譚のお湯割りで故人を偲んだ。



[113] 居酒屋ブルース564 江東文化センターでの小林さんの講演

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 5月 8日(月)20時19分29秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

昭和史研究会の会場変更のため、松本先生から確認のメールがきた。
野村様
 いつもお世話になります。塾員の皆様に今後の日程と会場のご連絡をしたく思います。
日程内容のご確認をして頂ければ幸甚です。宜しくお願い申し上げます。
                           松本 光

「歴史の会は、今月より池袋の会場から江東文化センターに変更になりました。
お間違えのないように宜しくお願い致します。」

第18回・歴史を語る会(昭和史研究、女帝等)
3月29日(水)17:50(午後5時50分)
新会場
 会場:江東文化センター〒135-0016
江東区東陽4-11-3
03-3644-8111 1階運営室 江東区役所の裏
二次会は男鹿半島の予定です(会場の予約、二次会場共に塾長の野村様にご足労頂いております)。
           祐天寺 松本 光
                         *
私はメール拝読をして、返信した。「新会場はOKです。3.29は小林(正尚)さんのデビューですね。当然参加です。二次会も予約済みです。次回4.19総会前の歴史を語る会は小生です。
昭和の日本酒の流れを話ます。昨日3.10、小倉さんのお見舞いに行ってきました。
ゆっくりですが、回復しています。会計委員長続行に意欲的ですが、復帰には二か月がかかるようです。
どなたか、この期間の会計代行をお願いしたいと思っております。
応援してくださる塾員はぜひ私にご一報ください。
歴史の会の石川さん、金子さんは出席の予定です。男鹿半島は6名で予約を入れました」以上が報告内容である。メールばかりでなく携帯でも連絡を取り合った。
 3.18に会場変更した、メールが歴史の会メンバーに発信された。
          *
  3.29 17:55に会場の江東文化センターについた。運営室には高木(繁)と小林正尚さんの二人だった。レギラーの小倉さん、阿久津君の長期欠席と常連メンバーの鍋谷さん、北沢君の先約のせいで少数であった。鍋谷さんが頑張って、歴史の会2名を誘ってくれ、何とか6名の会になった。
ほどなく、石川さん、金子さんが会場が分かりずらいと文句を言いながら入ってきた。
松本先生も参加して、講演が始まった。

講師の小林正尚さんのレジメは力作で分かりよかった。
 軍民両用研究の是非・・・理化学研究所から考える
(1)戦前の理化学研究所は1917高峰譲吉を渋沢栄一が支援して設立。1927年理研コンツェルンの流れは理解できた。
(2)ドイツでは・・・カイザー・ヴィルヘルム物理学研究所(1917)
(3)最近では・・・総合科学技術イノベーション会議、日本学術会議での議論
を講演してくれた。
彼の講演を聞くのは何年ぶりだろう。私が千葉県を担当したセールス時代多分45年前だろうか。
銚子市、東金市、佐原市の商談を一緒に頑張った。
特に、銚子市のライバル会社にほぼ内定直前に巻き返した思い出に残るた商談であった。その時の小林さんの迫力あるプレゼンを彷彿とさせる。
二次会は男鹿半島へ行った。
小林さんの乾杯で宴が始まった。この店初めての石川さん、金子さんも喜んでくれた。
小林さんは知り合い8名との飲み会にこの店を利用して、米ちゃんに気配り、サービスして心地良かったと話してくれた。
天ぷら、刺身が残ったので歴史の会のメンバーに提供した。
小林(正尚)さんの歴史の会のデビューは無事お開きになった。



[112] 居酒屋ブルース563  3月度例会と丼屋男鹿半島

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 5月 5日(金)20時05分54秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

  3月15日通年なら、総会の月であるが年度末の3月度玉ノ井塾 例会になった。
 会場:江東文化センター17:50(午後5時50分)集合
〒135 江東区東陽4-11-3   1階運営室 江東区役所の裏
電話 03-3644-8111  講師:高木 繁太郎さん 新興宗教(新宗教)のお話。
参加者は高木(繁)、高木(新)、鈴木、白崎、北沢、松本、福田、野村の8名。(敬称略)
高木(繁)さんの講演後、イベントとして玉ノ井塾創設者の高木(新)さんが今月で成蹊大学を退官するので、退官祝いに赤ワイン2本を贈呈した。
 私と新ちゃんは高校3年、浪人時代と?過敏性大腸カタルで一年半一緒に闘病生活した戦友であった。しかも将棋の師匠でもあった。期待どうり、世のため、人のため、地元の活性に貢献した。
玉ノ井塾復活も彼のお蔭であった。新ちゃんは想定外だったらしく、破顔一笑で喜んでくれた。
例会後、松本先生と小倉さんの入院中のため、監査及び会計業務に相談した。
監査は小倉さんの経過を見て、塾員に報告することにした。
当面は新年度塾費の集金を誰に頼むかであった。松本先生は来月の総会を欠席するので、緊急対応で私が対応することになった。小倉さんの経過を注視して、会計委員長として復帰してもらいたい。
この日鈴木君が新年度の塾費12000円を私に預けた。仮領収書のメモを渡した。
鈴木君、北沢君とは玉ノ井思潮20号発刊の編集会議もした。来月の総会のため中身濃い打ち合わせであった。
     *
 二次会には鍋谷さん大阪出張から駆け付けてくれた。
「乾杯は高木(繁)さんだ」の声援で、宴は瓶ビールスタートした。
定番の田舎煮、刺盛りはスッコランドの黒マグロ、新鮮なカンパチ、水ダコ、ツブ貝に珍しくトリガイが供された。トリガイの主な産地は太平洋側では東京湾や三河湾、伊勢湾など、日本海側では宮津や舞鶴などが知られている。しなやかな舌触りとシコシコした歯ごたえがたまらなかった。
 女将が佐藤商事で買ったオーガニックタイプの赤ワインを飲みに来てくれた。美味いワインだそうだ。
焼魚は深海に棲むサメガレイであった。白濁した身にはたっぷり脂があり、トロっとして食感がいい 。
スゴいゴツゴツ顔で表(有眼側)の皮が、ゴツゴツとサメ肌なので、この名前が付き、塩焼きは絶品であった。
焼酎のお湯割りが進む。
高木(繁)さんの新興宗教の講演は好評であった。
創価学会、天理教、世界救世教、生長の家、パーフェクト・リバティー教団(PL教団)、霊友会、金光教、幸福の科学などの国内信者数は塾員に勉強になったようだ。
 天ぷらはエビ、アナゴを揚げてくれた。熱々をほうばる。
北沢君は明日山行なので、早く帰りたがった。箸休みに赤カブのお新香で口を清める。
〆はきりたんぽで舌鼓。勘定は一人5000円であった。持ち込みの赤ワイン代は塾員から貰わなかった。
帰りは福田君、高木(新)、高木(繁)、私の相乗りでタクシーで帰った。



[111] 居酒屋ブルース562 今川小路 呑ん兵衛 神田(ジンタ)

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 5月 5日(金)11時19分22秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

   3.7 室町の砂場で16:10に待ち合わせた。
CKDの食事療法中なので、短期間での飲み会は要注意であった。
用心して、節制したペースを心に誓った。 名前紹介の了承を得てないので、Uさんと書かせていただく。
3.1茅場町「鳥徳」で飲んだ、2日後、大型封筒で自分史「遠野の桜」第廿号、3.1に飲んだ礼状、本日行く室町砂場、呑ん兵衛 神田(ジンタ)の案内図とジンタママ祐子さんの版画が郵送された。
親切過ぎる、気配りと感じた。
「遠野の桜」には欧州美術クラブの公募展で推薦作家となる・・・・Uさんの自分史が興味深々であった。
2007年に早稲田大学オープンカレッジで木版画の講座を受講した。以来、講師の伊藤卓美先生(元日本版画会会長)に師事し、地道に精進を重ねた。
たとえ素人でも作品を創るからには、?夢は大きく、志は高く?で推薦作家へ登った努力の人であった。
読み続けると栞のページにきた。
ジンタママ祐子さんのポートレートとママの版画が掲載されていた。
じっくりと拝見するとママは清楚な美人であった。
版画は眼がデフォルメされ、Uさん好みの美人になっていた。お勧めの見どころは抹茶ハイグラスの滲み具わいなので、再度拝見すると、芸の精緻さが少し理解できた。
 JRの新日本橋に15:55に着いた。16:05に携帯に砂場に入ったメールが届いた。まめな人のようだ。
私も5分後に着きますと電話をした。
この時間は砂場は混んでいなかった。時分を外してゆったりできる通し営業の蕎麦屋さんとなると老舗の大箱店の出番である。U氏は粋な場所を選んでくれた。
 とりあえず生ビール650円で乾杯した。乾杯直後のU氏の表情は爽やかであった。そこで私は今日の勘定をどうするか訊ねた。神田(ジンタ)はUさんが持ちたいというので、砂場は私が持つことになった。
摘まみに焼き鳥(タレ)800円、天豆550円、ごま豆腐500円、あさり650円を注文した。
ビールの後は菊正宗750円を注文した。
この店の特選菊正宗は美味すぎた。お酌をさしつさされるうちに、Uさんは自分史「遠野の桜」第廿一号を印刷屋へ持ち込めたと嬉しそうに話してくれた。
そして、富山のアンテナショップでホタルイカをママの土産に買ってきたそうだ。
プライベートな話になり、息子さんが新日響のバイオリン奏者で3.20に「すみだトリフォニーホール定期演奏会」があるので、チケットを送るので来てくださいとまたもお誘いされた。
クラシックは私の趣味ではないが、断れなかった。
 菊正宗を三本飲み終えた時、神田(ジンタ)へ行こうとせかされた。
「蕎麦をたぐらないですか」と確認すると「17:30の開店に入らないと、店が満席になる」と言う。
具たっぷりの名物おかめ蕎麦は残念ながら諦めた。勘定は6050円であった。
神田駅に向かった。東京駅側に歩くと、見えてくるのが『今川小路』。この小路もいつの日か、JRの管理となるが、神田(ジンタ)ママは応分の立退料を頂くまで頑張るとU氏が話してくれた。
ガード下にある今川小路の高架鉄骨に張り付けた様な電線の処理が複雑に絡み合っていた。
電気機器の故障や不備、整備不良で火災が発生してもおかしくない恐ろしい小路に呑ん兵衛 神田(ジンタ)はあった。
 お店はL字型のカウンターで6人ぐらいでいっぱい、という感じであった。
カウンターの中にはニコニコした笑顔が魅力的なママがいた。
先客が一人いた。Uさん勧められ右側の奥のカウンターに座った。壁には客のスナップ写真が一面に貼ってあった。目立つコーナーにUさんの作品「そんな祐子に惚れました」が飾ってあった。
「A-4で額縁だと、迫力満点ですね」と作品を褒めた。Uさんは満足そうな笑顔をした。私達は焼酎のお湯割りを頼んだ。摘まみの小鉢は野菜の煮物。おふくろの味というような素朴な味付けであった。
Uさんはママに土産のホタルイカを渡した。ママは笑顔で受け取り、摘まみにおすそわけしてくれた。
Uさんとママの会話からママが富山県出身が分かった。
Uさんは「そんな祐子に惚れました」を歌ってくれた。続いて、加山雄三「湯沢旅情」を歌った。
上手な歌い手であった。私は「暗夜行路」を歌った。
60代の二人連れの客が入った。続いてもう一人の60代が入って、店は満杯になった。
こうなると、店を盛り上げたくなって、「関東春雨傘」を選んだ。ジャズのブルースの哀愁があって、ベランメェ演歌っぽく、さあ、さあで合唱したくなる歌である。
船村徹は美空ひばりの歌は素人は歌うなと言うが、「好きなんだなあ」である。
マイクを二人連れに渡した。私の知らない歌ばかりであった。声朗々で聴かせてくれた。一人客も歌って、3組の歌合戦になった。遊び慣れた楽しい客達であった。先客だけ無言で酒を飲んでいた。
ママはUさんから抹茶ハイを奢っていた。Uさんは5曲ぐらい美声を聞かせてくれた。
楽しい時間がゆっくり過ぎていった。節制したペースを忘れたようだ。
8時半ごろ、私の「俵星玄番」で〆た。居心地の良い楽しい店であった。心に刻む思い出になった。
勘定はUさんが払ってくれた。
店の外でUさんはママと一緒のスナップを撮ってくれた。
「3.20 すみだトリフォニーホールで出会いましょう」で神田駅で別れた。



[110] 居酒屋ブルース561 茅場町「鳥徳」ある人の出会い

投稿者: 塾長 投稿日:2017年 5月 3日(水)18時17分46秒 softbank126077118192.bbtec.net  通報   返信・引用

  ある人と3.1茅場町「鳥徳」13:00に待ち合わせた。
ある人は2.28に茅場町「鳥徳」偶然に会った人である。
「鳥徳」は新大橋通の1本西側の道路に面した「鳥と鰻」が二大看板のお店だ。
店構えは昭和初期の2階建てで渋く、いかにも庶民向けの佇まいの老舗である。
現在で4代目になり、明治末期創業という。
 13:15ガラスの引き戸を開けて中に入る。昼時の後半でも店内は大盛況。おひとり様は奥にある5席程度のカウンター席が空いていないと、テーブル相席必至である。
 6人掛けのテーブルが2つ、4人掛けテーブルが2つ、カウンターの5席の4席は埋まっていた。
 さすがに人気店である。
 2Fには座敷がある。靴を脱いで上がる造りだ。5年前まで先代の三代目社長が下足番をしていた。
だいぶ昔になるが、玉ノ井塾のイベントで塾員を2Fに案内し、喜んでもらった。
長寿庵もそうだがこの界隈は粋な下町の旦那が多かった。
 その時、下足番をした先代が亡くなって4年が過ぎていた。窓際の奥のテーブル席に先客に挨拶して座った。
先客は菊正宗の一合より少量のビンで飲んでいた。
私はB弁当1050円と角のハイボール500円を注文した。
サービスの食べ放題の白菜の香物を摘みに角ハイボール飲む。
この店は丁寧な仕事のせいか10分以上は出来るまで待たされる。先客の鶏鍋、御飯、鶏のスープが来た。
澄んだ出し汁に鶏肉、レバー、ネギ、シラタキ、豆腐が入って大ぶりの玉子が落としてあった。
菊正宗をお代わりした。私もハイボールをそのスタッフに注文した。
「この御飯で一杯が美味いんですね」の私のつぶやきに、先客は共感してくれた。
私のB弁当も供された。鶏肉の鮮度は折り紙つきの焼き鳥3種類(もつ、つくね、ひな)とチキンカツ、だし巻き卵焼がおかずで、炊きたてご飯が2段重になっている。二段目にはご飯がぎっしり詰まっていて、熱々で米が立って食欲を誘う。
「鳥徳」はうなぎやでもある。うなぎやはご飯が命である。まずはその御飯を咀嚼しながら、ハイボールを飲む。「ハイボールとの相性が抜群」と囁くと彼も頷いた。その鰻のタレで焼いたモツが極上である。
ある人は鳥鍋を突っつきながら、一杯やっていた。なんとなく会話が続いた。ある人は柏市在住であった。
東京に来ると、この店の贔屓でよく再訪するという。
「3日後にも再訪するので、この店で飲まないか」と提案された。
私は早急な提案なので、「3日後、何故、東京に来るか」を訊ねた。
ある人は早稲田大学のオープンカレッジで「自分史へのいざない」を受講中とのことであった。
退職後、版画と自分史を勉強しているそうだ。しかも両方とも納得のレベルへ到達したいと話してくれた。
向上心溢れる魅力的な人物と察した。
再会することを約束して別れた。
 そのあと、立花証券の株セミナーに参加した。
今後EV、PHVに搭載されるリチウムイオン電池需要が急拡大する予想なのでWスコープ、日立化成を推奨した。
                   *
2日後の3.1にある人から、彼が創作した版画の作品がその版画の解説文も同封されて郵送された。
作品も解説文も素晴らしい出来栄えであった。特に、版画がプロ級と思った。
2016年、日本版画会展 入選作品の解説文はオバマ大統領の広島訪問がテーマで作者の想いに感じ入った。
と同時にクイック対応にも驚いた。
 私も玉ノ井思潮19号を郵送した。
頂いた作品を持参して、3.1、13:00に「鳥徳」に着いた。
窓際の奥のテーブル席を確保して、とりあえずハイボールを注文した。
オーナーの4代目に「先客とこの店でデート」と報告した。
4代目は笑って、「その人の版画は二階に飾ってありますよ」と言った。「こんど見学させてください」と話していると、彼が来店した。
ある人は前回と同じ席の確保を喜び、私は作品のお礼を言った。
スタッフに、菊正宗ビンと鳥鍋、私はB弁当を注文した。
本日も14:10まで会話は盛り上がった。彼は作品のため、取材旅行をよくするらしい。
カラオケも大好きで馴染みの店に私の作品が飾ってあると言う。
「ぜひお誘いしたい」と言う。私もカラオケは好きだ。「いつにしますか」と訊ねた。
「3.7はどうですか」と即答され、同意した。
 3.7 室町の砂場で16:15に待ち合わせた。


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